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公文書館企画展示

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2020年4月10日

コンテンツ番号78338

公文書館企画展示「あなたに伝えたい記録と記憶―公文書館所蔵資料から―」

第9回 家が足りない!~工都川崎の住宅事情~

【開催期間】 令和2年3月10日(火)から令和2年9月30日(水)まで


企画展ポスター



展示風景

 昨年、川崎市の人口が神戸市を抜いて政令市第6位となりました。現在、市の人口は約150万人ですが、明治時代末期に川崎の工業化が始まるまで、川崎町の人口は5000人余りに過ぎませんでした。その後、工場が増えるにつれて人口も急増し、それに伴って生じる深刻な住宅不足は川崎市を常に悩ませてきました。

 今回は、川崎市でどのような住宅不足解消策が行われたのか、明治時代末期から戦後の復興期にかけての住宅供給の試みを追っていきます。私たちの住む街がどのように形成されてきたのか、関心を持っていただくきっかけとなれば幸いです。

なお、展示替えを行うことがあるため、画像の史料が展示されていない場合もございます。あらかじめご了承ください。

▼「川崎市都市計画図」(川崎市公文書館所蔵「都市計画庶務書類」より)


 昭和期に入ると、川崎市に隣接する中原町では東京横浜電鉄や南武鉄道が開通し、良好な中流層向けの郊外住宅地としての開発が目指されるようになります。一方、ますます工業化が進む川崎市では、隣接する中原町を「将来の住宅地帯」として嘱望するようになります。1928年(昭和3)には中原町が川崎市の都市計画区域に加えられ、1933年(昭和8)に両市町は合併します。

 この都市計画図は合併の翌年に作成されたもので、当時の用途地域(ゾーニング)の様子が見て取れます。図によれば、川崎駅周辺は商業地域、駅の西側や臨海部が工業地域、そして中原町にかけての地域が住居地域に指定されています。また、図をよく見ると主な工場や発電所、また市営住宅や託児所などの社会施設も確認することができ、都市化が着実に進んでいたことが分かります。

▼「住吉分譲住宅案内」(内藤教雄家所蔵文書)


 1940年頃の、川崎住宅株式会社による住吉分譲住宅の案内図です。川崎住宅株式会社は、川崎市が市内の会社・工場と共同で設立した、官民連携による国内初の住宅会社設立です。
 この分譲住宅地では、4種類80軒の文化住宅を提供する予定であることが読み取れます。文化住宅とは、大正デモクラシーの風潮を背景に、大正から昭和初期にかけて流行した和洋折衷の住宅です。史料中で「都塵を避けた文字通り住みよい理想的の住宅地であります」と謳われているように、当時「田園都市」として開発が進められていた東横線沿線には、新たな中流層向けの文化的な住宅が建設されていきました。

▼「古市場土地区画整理区市街化見込図」(川崎市公文書館所蔵「古市場土地区画整理事業関係綴」より)


 この図は、幸区古市場が戦時中に住宅地として開発された際のものです。工事を担ったのは、軍需工場の増加に伴う住宅不足の解消のために設立された住宅営団です。古市場は川崎の工場地域にも近く、広大な耕地が広がっていたため、住宅営団が建設した集団住宅地の中でも最大規模の収容人口・面積でした。また、規模だけではなく社会施設の充実度も古市場の特徴であり、図面からは緑地や公園、国民学校、日用品市場、託児所などの福祉施設が計画的に配置されていたことが見て取れます。古市場の集団住宅地は、終戦を挟みつつも計画通り建設が進められ、現在も当時の区画や公園がそのまま残っています。

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お問い合わせ先

川崎市 総務企画局情報管理部公文書館

〒211-0051 川崎市中原区宮内4丁目1番1号

電話:044-733-3933

ファクス:044-733-2400

メールアドレス:17koubun@city.kawasaki.jp