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ナシの話

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ナシとは

学名:Pyrus pyrifolia var.culta Rehd.
和名:ニホンナシ(日本梨)
英名:Asian pear , Japanese pear , sand pear

 ナシはバラ科ナシ属の植物です。中国の西部・南西部が発祥の地といわれています。ここから一方は東アジアを経て日本へ、もう一方は中央アジアやヨーロッパへ伝播しました。現在日本で栽培されているナシは日本中部以南、朝鮮半島南部、中国長江沿岸が原産のニホンヤマナシに由来しています。日本では弥生時代の登呂遺跡から炭化したナシの種子が発見され、日本書紀にも栽培の記述があることから、古くから馴染み深い果物であることがうかがえます。

梨畑

川崎のナシ栽培の歴史

 川崎ではナシは江戸時代初期に川崎大師河原(現在の川崎区出来野)で栽培された記録がありますが、本格的な栽培は今から約250年前の江戸時代中期の寛政時代からといわれています。最初は川崎区の方から栽培がはじまり、中原、高津、生田と多摩川を上るように栽培地が広がっていき、大正時代には川崎は関東におけるナシの一大産地となりました。
 しかし大正末期から昭和にかけて川崎は工業都市として発展し、大師河原のナシ畑は姿を消しました。そして第二次世界大戦中の影響でナシの木は伐採され、終戦後はナシ畑の面積は最盛期の約230haから1/6の約37haにまで減少しました。そのため川崎市では”多摩川梨”を復興させようと5ヵ年計画を作成して果樹苗導入に助成をした結果、昭和38年には栽培面積は125haまで伸びましたが高度経済成長により減少して、現在は中原区、高津区、宮前区、多摩区、麻生区の約30haで栽培されています。

川崎を代表するナシ

川崎市では長十郎(ちょうじゅうろう)・早生幸蔵(わせこうぞう)・泰平(たいへい)・独乙(どいつ)・生水(いくすい)などのナシが誕生しています。ここでは代表的な2種類を紹介します。

長十郎(ちょうじゅうろう)

 明治26年(1893年)に大師河原町(現在の川崎区出来野)の当麻辰次郎氏のナシ園から他のナシとは違う品種が発見されました。当麻辰次郎氏の家は”長十郎”という屋号で呼ばれていたため、そのナシを長十郎と名づけました。最初は注目されませんでしたが、明治30年に黒星病(果実や葉に症状が出る菌の病気)が流行してナシが全滅の状態となった時、長十郎だけは被害を受けないうえ、収穫量が高いため次第に栽培が広がり、大正時代には全国面積の6割を占めるほどになりました。しかし昭和40年代に入ると幸水・新水・豊水などの水気が多く甘い品種に押されて現在では栽培量は少なくなりました。

長十郎の記念碑

川崎大師にある長十郎の記念碑

生水(いくすい)

 ”長十郎”誕生からおよそ100年後、川崎市在住の太田さんが豊水の花と二十世紀の花粉を交配した種から育て、平成13年に登録された新しい品種です。地元生田のナシということで”生水”と名づけられました。大きさは500g~700gと大きめで、やや酸味がありますが甘くておいしい品種です。川崎市内で栽培されていますが、木が若く収穫量が少ないので、直売所でしか販売されていません。

生水の花

生水の花(開花期は4月中旬)

川崎市の環境保全型農業

(化学肥料や化学合成農薬の適正な使用や使用量を減らすことによる、環境にやさしい持続性の高い農業)

 川崎市では環境保全型農業に取り組んでいます。その一環として農業技術支援センターでは市内ナシ生産者と一緒に、害虫の性フェロモン剤を利用して農薬を減らす方法を試みています。

交信攪乱法による減農薬栽培

(対象害虫:ナシヒメシンクイなど、ナシの果実に被害を与えるシンクイムシ類)

 ナシ園に害虫の雌の匂いを染み込ませた針金状のもの(コンフューザーN)を設置して、雄が雌の居場所がわからないようにして交尾を阻害し、幼虫を減らす方法です。この方法は殺虫効果はありませんが、虫の発生する数を減らすことができます。また、効果は害虫だけに特異的に効くため天敵など他の虫や動物に影響はありません。

果実の右側の赤い針金状のものがコンフューザーNです。
人間にはわかりませんが、ここから雌の匂い(性フェロモン)が出ています。ナシ園一帯にコンフューザーNを吊り下げることで匂いが充満して、雄は本物の雌がどこにいるのかわからなくなります。

コンフューザーN

コンフューザーN

フェロモン剤を利用したナシの栽培は平成13年度から市内の一部ではじまり、平成15年度からほぼ全域に広がりました。減農薬栽培は非常に難しい技術ですが、より安全なナシを生産するため、農薬の散布回数を減らす取り組みがはじまっています。

ナシのマメ知識

豊水の両親

 スーパーや八百屋さんでよく見かけるナシの豊水ですが、うまれてから49年間両親がわからない状態でした。豊水ができた1954年当初は”リー14”と”八雲”を交配して作られたと発表されましたが、2品種とも青梨なのに豊水は赤梨であることや花の受粉の組み合わせなどに問題があり、1982年の調査で親は不明とするのが妥当といわれてました。しかし、2003年10月に茨城県つくば市の果樹研究所で遺伝子の一部を調べた結果、種子親(母親)は”幸水”で花粉親(父親)が”イー33”であることがわかりました。

ナシの受粉の様子

ナシの授粉の様子