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山間部・平地の歴史(テキスト情報)

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 国際大学グローバル・コミュニケーション・センターとの共同研究で作成したものです。

 過去の市政に関するニュース映像から、川崎の「山間部・平地」の当時の状況に関するものをまとめています。

(1) 「工都に市営最大の住宅群」 (昭和31年7月18日)

 人口46万、なお増加する一方の川崎市は、住宅問題解決のため、毎年約500戸の住宅を建設してきましたが、この程、多摩区中野島にも150棟、250戸の市営住宅を完成させました。

 7月9日から1,200名におよぶ集団入居が行われ、ここは市営住宅として最大のブロックと言われています。

 

(2) 「伸びる市民の足」 (昭和32年2月20日)

 人口増加に伴い、交通の問題が出てきます。特に工場街を持つ川崎市では、朝夕の通勤ラッシュが大変ですが、川崎市の交通事業は飛躍的な進歩を遂げ、解決に向かっています。

 東日本初で誕生したトロリーバスがメインストリートから工場街へ走り、また市電も駅前から工場地帯を抜けて港へと走り、縦横に広がるバス路線とともに交通網は万全です。

 ところが、住宅地は益々郊外へ進出する傾向にあり、交通網をさらに広げる必要があるため、市の交通局はバス路線を延長し、サービス向上を目指しています。

 

(3) 「丘陵地帯に続々団地」 (昭和35年12月27日)

 川崎市が昭和34年から工事を行っていた長尾と平の丘陵に分譲住宅地が完成しました。

 面積15万平方メートル、全部で350区画で、名前は”五所塚団地”と決まり、分譲の受付も始まっています。また、野川には、昭和35年度の宅地造成が進められており、丘陵地帯に続々と市民の住宅用地が作られています。小田急沿線の高石には、住宅公団によって百合ヶ丘団地の第一期工事が完成し、現在約4,000人が住んでいますが、商店も次々開いており、近く8,000人のニュータウンが誕生します。このため、生田には市営の下水処理場が設けられるなど、川崎西北部の丘陵地帯は、日に日に姿を変えており、人口100万人の生産文化都市へ発展しています。

 

(4) 「造成すすむ岡上営農団地」 (昭和49年9月24日)

 川崎市岡上で、限られた土地を効率よく使って農業経営を行い、市民に親しめる農業作りを目的として営農団地作りが進められています。

 市民に新鮮で安い野菜や果物を提供するこの営農団地は、一部の造成が完了し、試験栽培も終えて、昭和51年からの本格栽培に備えています。総面積35ヘクタールのこの団地では、季節のものや温室野菜が作られることになっています。このような営農団地の誕生は、川崎の新しい都市農業として期待されています。

 

(5) 「よみがえる二ヶ領用水」 (昭和61年3月15日)

 江戸時代、多摩川の水を引いて灌漑用に利用しようと作られたのが”二ヶ領用水”です。

 長い間、人々の生活に潤いを与えてきましたが、都市化が進む中で汚染され、昔の面影は見られなくなりました。この二ヶ領用水を自然と調和した憩いの広場として復活させようと、昭和60年度から五か年計画で工事が進められていましたが、その一部が完成しました。

 遊ぶ子供たち、釣りをする親子、散歩を楽しむお年寄りたち、そんな光景が間もなくみられるでしょう。

 

(6) 「生田緑地の豊かな自然」 (平成15年6月15日)

 川崎市北部、多摩丘陵の一角に広がる市内最大の緑の宝庫である生田緑地は、公園の中央に人々の憩いの場所として噴水があり、一歩緑の中に入ると、自然探勝路や野鳥の森があります。

 川崎市青少年科学館が行っている生田緑地観察会では、川崎自然調査団メンバーのガイドと一緒に植物や昆虫などの観察を行います。また、緑地内にある枡形山公園の展望台からは、多摩川、東京方面が見渡せます。