|
平間寺(へいけんじ)は真言宗智山派の大本山で、金剛山金乗院平間寺と称し、厄除弘法大師または川崎大師として、昔から庶民の厚い信仰をあつめています。縁起によれば、平安時代・大治3年(1128)平間兼乗(ひらまかねのり)を名のる漁師が操業中、弘法大師像を得、持ち帰って一宇(いちう)を建立安置し、寺号を平間寺としたのを始めとすると伝えます。
一方、『新編武蔵風土記稿』は、下平間村に称名寺という寺院があり、ある時同寺は真言宗から浄土真宗に改宗し、このため従来の本尊が不用となった。そこでこれを多摩川へ流すと、河口の漁師が拾いあげ、堂宇(どうう)に安置して寺号を旧地の村名をとり平間寺とした、との異伝を記しています。
この2つの伝承から、平間寺は日本人が昔から持っていた民俗信仰である海上漂着、または水上漂着の神仏を祀(まつ)るという素朴な信仰によって成立したこと、有力な貴族・武士などによって造営された寺院ではなく、地元の漁師などによって支持され、地域に結びついた庶民信仰の寺院であるという特徴をうかがうことができるでしょう。
| |
戦国期に作成された『小田原衆所領役帳』に「大師河原」の地名がみられますが、ここにも漂着神のおもかげが推定できます。しかし、近世以前の寺史はほとんど不詳です。
寛永5年(1628)、江戸の商人によって境内に「六字名号塔」(ろくじみょうごうとう)が建立され、慶安元年(1648)には、幕府から6石の朱印を拝領しています。
降って寛政8年(1796)、将軍家斉が訪れて厄除け祈願を行い、文政元年(1818)御成門も造営されました。幕末に日本を訪れたアンベールは、「川崎にはいくつも寺があるが、その中で立派なのは大師河原平間寺で、日本のもっとも純粋な仏教建築の1つに違いない」(『幕末日本図会』)と記し、ペリーは「ずっと見えていた目標は、川崎近くの寺院の塔で、そのあたりは川崎大師河原と呼ばれる名だたる盛り場であった」(『日本遠征随行記』)と記しています。
|