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芭蕉の句碑
芭蕉の句碑地図
芭蕉の句碑img
芭蕉の句碑
住  所  川崎区日進町11−9
交通案内  JR浜川崎線・京浜急行「八丁畷駅」下車、すぐ

解   説

 俳聖と言われている松尾芭蕉の足跡をしるした句碑が、京浜急行八丁畷(はっちょうなわて)駅のすぐ近くに建立されています。
 芭蕉は、正保元年(1644)伊賀上野に生まれ、伊賀上野藩の侍大将藤堂良精に仕えていましたが、延宝8年(1680)江戸に下り、深川の芭蕉庵に住んで俳諧の道に精進しました。はじめは北村季吟などに師事していましたが、天和元年(1681)に「枯枝に烏」の句を境に「蕉風」を確立し、俳諧に高い文学性を与えました。
 元禄7年(1694)5月、江戸に住んでいた芭蕉は、子の治郎兵衛と共に長崎へ旅立ちました。芭蕉との別 れを惜しむ江戸の門人の利牛、野坡、袋水は多摩川を渡り、川崎宿まで見送りにきて八丁畷の榎だんごという店で最後の別 れをかわしました。この時、芭蕉が詠んだ句が「麦の穂を たよりにつかむ 別 れかな」です。

 

その後芭蕉は、旅の途中の大阪で発病し、同年10月12日、51歳の人生を閉じ、粟津の義仲寺に葬られました。
 芭蕉の著作としては、『野ざらし紀行』や元禄2年(1689)5月8日弟子の曾良を伴って東北地方を旅をしたときのことをまとめた『奥の細道』や『炭俵』『猿蓑』などがあります。
 芭蕉が亡くなってから130年後の文政13年(1830)8月、俳人一種が桜井梅室(天保の三大俳家)に揮毫(きごう)してもらい、麦の穂の句を八丁畷に建立しました。
 芭蕉の句碑は、川崎市内にはこの句碑のほか3基、神奈川県下では59基あるといわれていますが、芭蕉が句を詠んだ地に建てられた句碑は、箱根山で富士を詠んだ句碑など数基しかありませんので、その点でもこの句碑は大変貴重といえます。