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盛源寺は戦国時代末期に開かれた曹洞宗の寺院です。本堂へ向う参道の右手に寛文10年(1670)銘の庚申塔(こうしんとう)(市重要郷土資料)があります。
本塔は石造りの舟形光背(ふながたこうはい)型式の塔で、塔身部の側、背面
部を荒削りなノミ整形仕上げとしています。三猿は初期の庚申塔らしく、ともに正面
を向き、腰を落した姿勢で右から口・耳・目をふさぐポーズをしています。三猿のうえ塔身部正面
には「山王大権現為供養也」等の銘を中心に寛文十年霜月の紀年と「武州橘郡菅生郷長沢村」と戦国期的な郷名(ごうめい)を冠した村名を陰刻しています。
川崎市域には無量院寛文元年銘の庚申塔を最古として、現在320基ほどの庚申塔が確認されておりますが、それらの中で本塔は塔形態・三猿等のシンプルな造形表現において、近世初期庚申塔の特徴をよく伝える貴重な資料です。
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庚申信仰は、仏教思想に道教などの民間信仰が習合(しゅうごう)して成立したもので、人の体内に住む三尸(さんし)が、庚申の夜天帝にその人物の善悪を報告するといわれ、これを避けるため庚申の日通
夜で過ごす慣行があります。
古くは貴族層や武家社会で信仰されておりましたが、近世に入ると地方村落の間にも普及し、農民たちが講(こう)を組織して60日に一度、講中の家に集まり、祈祷(きとう)ののち飲食を共にして楽しい一時を過ごしました。
彼らは信仰の証しとして、しばしばそのモニュメントとなる石造庚申塔を造立しました。
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