夢見ヶ崎(秋草文壺)

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2018年7月20日

秋草文壺

秋草文壺

住所

幸区北加瀬1-13-1ほか(夢見ヶ崎動物公園内)

交通案内

JR・京浜急行「川崎駅」西口から市営バス川63・64・66・83系統「夢見ヶ崎動物公園前」下車、徒歩7分

地図

解説

 秋草文壺(あきくさもんつぼ)は夢見ヶ崎の台地の西端、市内唯一の前方後円墳として知られる白山(はくさん)古墳の後円部下側から、昭和17年(1942)の土取り工事中に偶然発見されました。完全な形で掘り出されたこの壺は、粘土を敷きつめ河原石を積んだ遺構の中に置かれており、壺の中には火葬された人骨が詰まっていたということですから、骨壺(火葬骨蔵器)として利用されていたものと考えられます。
 高さ42cm、口径16cm、胴部径29cm、底部径14cmを測るこの壺は、口はやや外反して胴の上部が最もふくらみ、底に向かってすぼまっていく優雅な器形をしています。また、肩から胴の上部にかけて黄緑がかった自然釉(ゆう)がかかっていて、一段と壺の美しさを引き立てています。
 この壺の最も大きな特徴は、その名のしめすとおり、口から胴部にかけて刻み込まれた秋の風物にあります。ススキ・ウリ・柳などの秋草やトンボなどの文様が大胆とも思えるような構図で釘彫りされており、日本的な秋の風情を伸びやか、かつ情趣豊かに表現しきっています。
 このような文様の描き方は、従来からの中国陶磁の強い影響から抜け出して、日本人みずからが作り上げた新しい表現方法でもあったのです。この壺は、そうした日本陶磁の新しい動きを象徴する代表的な作品であり、平安時代末の12世紀後半頃に愛知県の渥美窯(あつみよう)で焼かれたものと考えられています。
 こうした日本を代表するような壺が、どうして南加瀬の地に骨壺として埋葬されることになったのか、また、この壺の中に遺骨を納められた人物はいったい誰だったのか。この壺をめぐる問題には非常に興味深いものがありますが、詳しいことは未だ謎に包まれています。
 この壺は発見当時の経緯から慶應義塾大学が所蔵するところとなり、川崎の地を離れてしまいましたが、昭和28年(1953)には国宝に指定され、現在は東京国立博物館で展示公開されています。

空から見た夢見ヶ崎

空から見た夢見ヶ崎

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