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盛源寺

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庚申塔

庚申塔

住所

多摩区長沢1-29-6

交通案内

小田急線「百合ヶ丘駅」から小田急バス百01系統「聖マリアンナ医科大」行き、「溝口駅南口」から川崎市バス溝18系統「聖マリアンナ医科大」行き、「盛源寺」下車、すぐ

地図

解説

 盛源寺は戦国時代末期に開かれた曹洞宗の寺院です。本堂へ向う参道の右手には、市重要郷土資料に指定されている寛文10(1670)年銘の庚申塔(こうしんとう)があります。

 本塔は、舟形光背(ふながたこうはい)型の石塔で、塔身部の側、背面部を荒削りなノミ整形仕上げとしています。初期の庚申塔らしく、三猿はともに正面を向き、腰を落した姿勢で右から口、耳、目をふさぐ姿勢をしています。三猿の上にある塔身部正面には、「山王大権現為供養也」等の銘のほか、「寛文十年霜月」の紀年と「武州橘郡菅生郷長沢村」と戦国期的な郷名(ごうめい)を冠した村名を陰刻しています。

 川崎市域には、無量院にある寛文元(1661)年銘の庚申塔を最古とし、平成3年の時点で320基ほどの庚申塔が確認されています。本塔は、市内の庚申塔の中でも簡素な造形表現において、近世初期における庚申塔の特徴をよく伝える貴重な資料です。

 庚申信仰は、仏教思想に道教などの民間信仰が習合(しゅうごう)して成立したもので、人の体内に住む三尸(さんし)が、庚申の夜にその人物の善悪を天帝へ報告するといわれ、これを避けるために庚申の日は通夜で過ごす慣行があります。
 古くは貴族層や武家社会で信仰されておりましたが、近世に入ると地方村落の間にも普及し、農民たちが講(こう)を組織して、60日に一度、講中の家に集まり、祈祷(きとう)ののち飲食を共にして楽しい一時を過ごしました。

 彼らは信仰の証しとして、しばしばその記念となる石造庚申塔を造立しました。

所有指定文化財

コンテンツ番号100