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長弘寺本堂

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2010年6月7日

長弘寺本堂

長弘寺本堂 1棟

木銘札 1枚
本堂向拝中備龍彫物 1具

建築年代

江戸時代〔安永4年(1775)〕

規模

桁行44.5尺 梁行43尺

構造形式

桁行5間(背面7間)、梁行6間半、入母屋造・桟瓦葺、正面1間向拝付、側角柱、三斗組(拳鼻付)、中備蟇股

所有者

長弘寺(幸区南加瀬3-24-16)

指定

市重要歴史記念物 平成2年1月23日指定

解説

 長弘寺は元和7年(1621)に創立された浄土真宗の寺で、開山を宝心という。彼は鎌倉郡小菅ヶ谷村にある長光寺の住職であったが、故あって加瀬村の現在地に寺を移し、初め長光寺と号した。木銘札によると、現在の本堂(大雄殿)は安永4年(1775)に新築落成した建物で、願主は長弘寺9世智伯、大施主は梅窓院11世因誉上人、大工は地元北加瀬村の青山忠八である。本堂は境内中央に南面して建ち、江戸時代には本堂の正面に山門、東側に庫裡を配し、ほかに鐘楼が建っていた。本堂の屋根は、もと寄棟造・茅葺で、向拝は銅板葺であったが、昭和31年(1956)に現状の入母屋造・瓦葺に改修し、その時、向拝の海老虹梁と中備の龍彫物を造り替え、また正面の肘掛窓に火灯形の枠を付け加えた。
 本堂は桁行5間(背面7間)、梁行6間半の規模で、正面に1間向拝が付く。平面は前面1間通りを広縁(前廊下)、中3間通りを外陣と矢来内とし、その後方2間通りを内陣と左右余間、背面半間通りを後陣と脇壇間とする。側廻りは5寸8分角の檜角柱を用い、切目長押、内法長押(正面中央間は差鴨居)、化粧貫、頭貫(木鼻付)を廻して軸部を固める。組物は三斗組(拳鼻付)、中備に板蟇股を置き、軒は二軒疎垂木である。側廻りの建具は三本溝の遺戸と明障子の組み合わせで、正面中央間と両側面前3間が掃き出し、他の正面3間の各柱間は窓に復元される。
 内部は径8寸5分の欅の丸柱を内陣中央の4本を除き建登せ柱とし、内法に虹梁形の差鴨居と虹梁を多用する。外陣と矢来内は、内陣と左右余間に合わせて、中間と両脇間に分け、中間と両脇間境に虹梁を渡し、上部に花挾間格子の欄間をはめる。外陣中間の正面3間は、差鴨居上に朽木形の格子欄間をはめ、両脇間正面各2間は内法長押と鴨居を入れ、ともに障子が立つように作られている。外陣と矢来内は、もと矢来で隔てていたが、中間及び両脇間とも各々矢来内を合わせて一室を構成する。天井は共に格天井であるが、中間は挿肘木により出組斗栱を組んで天井桁を受け、蛇腹支輪を入れるのに対して、両脇間は簡略化して出三斗組とする。ともに飛貫を頭貫に見立てて、中備に蟇股を置く。広縁は鏡天井で、組物は脇間と同じ出三斗である。
 内陣及び左右余間は上段構えに造る。意匠の中心である内陣正面は内法を余間より高い位置に入れて漆塗の巻障子を立て、上部を金箔押の彫刻欄間で飾る。内陣前の矢来上部に架けた大虹梁は見所の一つであり、室内に奥行と立体感を与えている。余間正面は差鴨居に襖障子建て、上部に大瓶束を立てて朽木形の格子欄間をはめる。内陣の仏壇は三並び形式であるが、背面より半間前に出すのは珍しい。内陣と余間境は差鴨居を入れ、飛貫間に花挾間の格子欄間をはめる。内陣の天井は折上格天井、組物は外陣中間と同じ出組で、蛇腹支輪を付ける。左右余間は、外陣脇間と同じ、出三斗組に格天井である。このように室の格に合わせて意匠を変えている。内陣及び左右余間の床はもと松の板敷であった。
 向拝は桁以上が新しく、海老虹梁と中備の龍彫物は新材に替わっているが、中備に用いた当初の龍彫物は生気があり、別に保存されている。

木銘札(縦32cm 横202cm 厚1.3cm)

銘文・表

木銘札 銘文・表
木銘札 銘文・表
木銘札 銘文・表

銘文・裏

木銘札 銘文・裏

長弘寺本堂梁間断面図

長弘寺本堂梁間断面図

長弘寺本堂平面図

長弘寺本堂平面図

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