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旧江向家住宅

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2010年6月7日

旧江向家住宅

旧江向家住宅 1棟

建築年代

江戸時代中期

規模

桁行19.6m 梁行8.5m

構造形式

切妻造、茅葺、一重三階

所有者

川崎市

所在地

多摩区枡形7-1-1(日本民家園)

指定

重要文化財 昭和44年6月20日指定

解説

 江向家住宅は庄川沿いに位置する五箇山の一村、上平村(富山県東礪波郡)の合掌造民家である。合掌造の概要については旧野原家住宅の解説中に述べたので参照されたい。五箇山地方の合掌造は岐阜県白川村のそれとは違って、純粋な切妻造ではない点で共通する。しかし同じ五箇山でも利賀谷の野原家では構造的にも入母屋造に近いのに対し、上平村の江向家では、土間妻側の屋根は構造的にも形態的にも切妻造の妻側に庇を取り付けた形になっている。そして座敷側の妻には板葺の小さな庇が付くだけだから、これは切妻造を原形としたその発展形であることがわかる。また入口の位置も野原家の平入に対し、こちらは妻側から入る妻入である。上平村の古い民家はみな妻入であったらしい。
 妻側に設けられた大戸口を入ると、トオリに面してウマヤとミソベヤがある。そして板壁によって二分された土間の前半部はニワである。ここには大きな竈が据えられ、また常時水の流れる水船が置かれていた。この竈は炊事用のものではなく、水船とともに和紙をすくためなどに用いられた。ニワはそうした作業場として機能していた。
 土間沿いの部屋は前後2室に分かれ、表(向かって左)はデイ、裏はオエである。オエには大きな囲炉裏が切られ、また土間境には土間への出入口のほか作り付けの戸棚が備えられている。また背面にも外部に張り出して棚が設けられている。家族の日常生活の中心であった。これに対し表側のデイは軽い接客の場であったと考えられる。両室の間には1間毎に柱が立って、その間に建具が入るが、もっと新しい民家になると柱がなくなり、場合によって建具を取り外せば広々とした一室として使えるように変化する。
 デイの奥のオマエは簡素ながら床の間を備える接客間である。そしてその奥には小さな仏間を置き、仏壇を妻側に張り出している。
 ヘヤは寝室で、オエ側から入る。入口は敷居を一段高くした納戸構えと呼ばれる形式で、たいへん古風である。
 ところで解体修理の結果によれば、オマエとヘヤはある時期に増築されたらしく、当初は1間幅しかない狭い部屋であったらしい。他の例に照らしても、オマエ・ヘヤがかなり狭いのがこの地方の民家の特色だったようである。なお白川村の合掌造と大家族制との関係についてはよく知られているが、五箇山では同居の家族数はせいぜい6、7人程度であった。
 構造は野原家と大きく異なるところはないが、特徴的なチョーナ梁はデイ、オエやオマエだけでなく、土間上部やヘヤなどを含めて全面的に使用されている。そして広い小屋裏は二段に仕切られ、養蚕や物置などに使用された。屋根の平側に窓が開けられたのは幕末期らしいが、この地方独特のものであるので、復原にあたってもそのまま残されている。
 江向家の建立年時を示す資料はないが、平面の形式や構造技法から18世紀初め頃の建築と推定されている。意匠的にも優れ、この地方の合掌造民家を代表するに足るものである。

旧江向家住宅平面図

旧江向家住宅平面図

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