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旧広瀬家住宅

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2010年6月7日

旧広瀬家住宅

旧広瀬家住宅 1棟

建築年代

江戸時代中期

規模

桁行14.5m 梁行8.9m

構造形式

切妻造、茅葺

所有者

川崎市

所在地

多摩区枡形7-1-1(日本民家園)

指定

県指定重要文化財 昭和46年3月30日指定

解説

 広瀬家住宅の旧所在地は山梨県塩山市北方の大菩薩峠付近を源流とする、笛吹川の支流の東岸・上萩原中小沢である。かつて付近の甲府盆地東部一帯には切妻造の草葺屋根(地元では切破風造と呼ぶ)の民家が散在していた。
 草葺屋根のごく一般的な屋根の形は寄棟造で、入母屋造がこれに次いで多い。切妻造は形としては最も単純だが、草葺屋根としては圧倒的少数派である。こうした屋根形式が分布するのは全国的にみても奈良・大阪・岐阜・富山そして山梨のみである。奈良・大阪における切妻草葺の出現は江戸後期だから、それほど古い歴史を持っているわけではない。こうしたなかで山梨県の切妻造はすでに18世紀前半には一般化しているから、飛騨の合掌造と並んでその成立はかなり早かったのである。
 なぜこの地方に早くからこうした形式の民家が出現したのかは今のところ不明である。合掌造と同じように養蚕との関係も考えられるが、17世紀末頃に建立されたと推定される旧広瀬家住宅ではまだ中二階がなく、養蚕を考慮した造りにはなっていない。何か別の要因を考える必要がありそうである。
 当家の外観は同時期の他の地方の民家と比較してもさらに閉鎖的である。しっかりとした開口部はザシキ前面中央部のみで、他にはイドコや土間妻側に少しばかりの下地窓を開けるだけである。つまり正面を除く三方には基本的に開口部はない。そして軒先は普通の人でも頭がつかえるほど低い。きわめて古めかしい造りといえよう。
 内部の作業空間であるドジ(土間)と、居間であるイドコの間には何も仕切りがなく、しかもイドコの床は土のままの、いわゆる土座住居である。こうした例は神奈川県内では遺例がみつかっていないが、東北地方や日本海側の新潟・福井、内陸部の山梨・長野には多くの例が知られている。甲府盆地では18世紀前半まではごく普通にみられたようである。そして土間側から床上部を見ると、床を支える根太の木口がそのまま見えており、これは清宮家に共通するきわめて素朴な手法である。
 間取りは広間型の一種で、土座のイドコの奥には板敷の3室が並ぶ。デイ(ザシキ)は客座敷、ナンド(オクナンド)は寝室である。両室の間のヘヤ(ナカナンド)へはイドコから入れず、デイの奥の間のようになっている。もとは仏壇を置いていたというから、仏間であったのかもしれない。しかしナンドはかなり狭いから、ヘヤも寝室として使われることがあったのだろう。広瀬家より新しい民家ではイドコ側に入口が設けられ、ナカナンドとして、寝室としての用途が明確になる。
 正面右妻側の中央柱と、イドコ・ヘヤ(ナカナンド)境の中央柱はいずれも棟まで達する、いわゆる棟持柱である。棟持柱構造も甲州型民家の特徴のひとつである。妻側の、この棟持柱を中心に、構造部材が織りなす幾何学的な格子模様はなかなか美しい。
 以上のように、広瀬家は甲州型民家の最も古い遺構のひとつであり、またその改造過程を追うことによってこの地方の民家の発展過程をも知ることができる、貴重な建築である。

旧広瀬家住宅平面図

旧広瀬家住宅平面図

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