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木造 二天立像

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2013年2月25日

木造 二天立像
木造 二天立像

木造 二天立像 2軀

年代

未詳

像高

141.5cm 136.5cm

所有者

影向寺(宮前区野川419)

指定

市重要歴史記念物 昭和43年2月10日指定

解説

 現在収蔵庫内に本尊薬師三尊像などと共に安置される。
 一軀は冠を戴き、目を見開き、歯をくいしばって忿怒の相をあらわし、左手を振り上げ、右手を腰に当て、右足で邪鬼の頭を踏みつけ、腰を左へ捻って立つ。もう一軀はやはり忿怒の相ながら口は「へ」の字に閉じ、右手を振り上げ、左手を腰に当て、左足で邪鬼の頭を踏みつけ、腰を右へ捻って立つ。両像とも一木造で彫眼とし、表面は彩色しているが、剥落が多い。左手を振り上げる像の左肩先結合材、右手を振り上げる像の右肩から先、左手先、左手の広袖の先、両足先は後補である。また、両像共に表面の彩色、台座、光背は後補である。
 左手を振り上げた像の邪鬼背面に、「再興 中ノ嶋」の墨書銘が記される。当寺の木造十二神将立像や木像十王坐像の嘉永3年(1850)の墨書銘に、中ノ嶋仏師として玄得・寿二の2名が見出されるので、本像もその頃に両者によって修理が行われたと思われる。また、当寺十二神将像中の子神将像に納入されていた元禄2年(1689)の再興願文には本像の修理を指すとみられる記載があるので、少なくとも2回の修理を確認できる。
 神将形の像を二軀一組で二天として祀る例は古くは奈良時代からみられ、以後各時代を通じてしばしば造られてきた。そしてその形は左右相称に造られることが最も多く、中でも本像のように片手を振り上げ、もう一方の手を腰に当てる形が多いようである。本像は口の開閉、踏み上げる足、腰の捻る向きなどもそれぞれきちんと対になるように造られており、当初より二天として制作された可能性が強い。
 本像の名称については明確ではないが、前記子神将像内の元禄2年の再興願文には「広目天」「増長天」との記載があり、これが本像を指すと考えられ、当時そのように称されていたことが窺われる。しかし、本像のような形の二天を広目天・増長天と称すことはあまり例がなく、今後さらに検討が必要であろう。
 本像は手の振り上げ方、足の上げ方、腰の捻り方などに動きが少なく、総体におっとりした形姿に造られる。また、甲の表現などもあっさりとしており、表情は穏やかな忿怒の相にあらわされる。これらの特徴は平安時代の後期によくみかけるものである。しかし、肉付けはやわらかな丸みや抑揚に欠け、髻や天冠台下の地髪、甲などには質感が乏しい。また、頭部は横からみると顎がしゃくれたような形で、表情には少し俗っぽいところがあり、やや品位に欠ける。このようなことを併せ考えると、平安後期の制作とするにはためらわれ、室町時代あたりに古像を手本に造った模古作と考える方が無難とも思えるが、現段階では結論は保留しておきたい。

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