銅造 阿弥陀如来立像

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2013年2月25日

銅造 阿弥陀如来立像

銅造 阿弥陀如来立像 1軀

年代

南北朝時代

像高

31.7cm

所有者

泉澤寺(中原区上小田中7-20-5)

指定

市重要歴史記念物 昭和61年8月28日指定

解説

 像高ほぼ一尺の来迎印を結ぶ阿弥陀如来の立像である。左手を垂下して第1・2指を捻じ、右手は屈臂して掌を前に向けて立て、第1・2指を捻じる。着衣は大衣・偏衫・裙を着け、腰を軽く左へ捻り、右足をわずかに前に出して立つ。
 頭頂から足先までを一鋳で造り、両手首から先は別鋳して鋳継ぐ。型は前後割型で、中型土はほぼ全て取り除かれている。背面には光背を挿し込むための突起を二ヶ所設けている。鍍金はほとんど剥落し、現在肉身部には後補の金泥が塗られている。
 本像は全体の造形を破綻なくまとめ、肉付けも小像ながら十分にボリュームを感じさせる。複雑な衣文処理にもよく神経が行き届いており、鋳技も丁寧で、中世風をよく示す優れた作例である。ただし、バランスの上で頭部が少し大きく、やや前かがみである点や面部がむくむくと張っている点、衣文に若干重く鈍いところが見られる点などからすると、本像の制作は鎌倉時代までは上り得ず、南北朝時代の作と考えられよう。また、粒の大きめの螺髪をあらわし、地髪部は横に張りの強い、いわゆる鉢の張った形で、髪際線は中央を下げた波うつ線とし、衣の末端をひらひらと折り返したり、袖を波うたせたりするなどの特徴は宋元風の影響と考えられる。
 金銅仏はいうまでもなく、銅で鋳造した本体に鍍金して仕上げた像をいう。金銅仏の歴史は古く、飛鳥時代から奈良時代にかけて全盛期を迎え、当時の重要な造物の多くは銅で造られ、彫刻の主流をなしていたが、平安時代に入ると木彫に主流の座を譲り、一時期衰退した。しかし、平安時代末期から復興の兆しを見せ、鎌倉時代以降は善光寺式阿弥陀三尊像の流行とも相俟って再び多く制作されるようになった。
 本像は金銅仏の第2の流行期に属す作例といえるが、川崎市内の指定作例では唯一の金銅仏である。またこの時期、銅造の阿弥陀像としては善光寺式の作例が目立つ中、来迎印を結ぶ阿弥陀立像は、市内はもとより県下でも数少ない例として貴重な存在である。

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