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鬼瓦

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2018年7月20日

鬼瓦

鬼瓦 1箇

年代

奈良時代

法量

縦 41.0cm
横 35.5cm
厚 5.0cm

所有者

個人(麻生区)

出土地

伝奈良県奈良市大安寺

指定

重要文化財 昭和35年6月9日指定

解説

 鬼瓦は、建物の大棟や降棟、隅棟などの先端に用いられる飾瓦で、棟端飾り瓦ともいわれ、奈良時代ごろから鬼神面を装飾することが盛行したので鬼瓦とよばれる。
 この鬼瓦は、穹隆状(アーチ形)の鬼板で、表面一杯に鬼面文をあらわし、下部の中央は半円形に刳り取り、軒丸瓦(鐙瓦)を嵌め込んで、鬼が大きな口を開き、4本の牙で、その瓦を噛む形を呈している。鬼面は、眼は大きく下方に向けた、いわゆる団栗眼で、額は鼻孔が左右に大きく高く開く獅子鼻をあらわす。口は大きく耳の近くまで開き、4本の門歯と、4本の牙をのぞかせている。耳は尖り耳で、口の左右には襞状の鬚があり、額には鋸歯文をつけ、周縁には大きめの連珠文帯をめぐらしている。裏面には、固定装置として、縦位の半環状の把手が付されている。南都七大寺のひとつである大安寺(奈良市大安寺)の境内から出土したと伝えられ、保存状態も良好である。また、鬼面の特異な形相は、舞楽面の納曽利や陵王などの竜王を彷彿とさせる。
 さて、現在までに知られている日本の最古の鬼瓦の遺品は、飛鳥時代の奈良県法隆寺、若草伽藍跡出土の八葉蓮華文を複数飾ったものであり、白鳳時代に入っても、奈良県山村廃寺や奥山久米寺出土の単弁蓮華文を大きく飾った例のように、蓮華文を採用したものが主流である。
 そして鬼神文を表す鬼瓦が出現するのは、白鳳時代末期の大宰府の都府楼出土品などからで、中央では奈良時代になって平城宮や南都の諸大寺で用いられるようになる。この鬼神文の鬼瓦には、鬼面のみを表わすものと、鬼神の全身を表したものの2種類があり、やがて鬼面文の鬼瓦が主流になってゆく。
 平城宮跡では造営の当初から、蹲踞の姿勢をとって全身の鬼神の姿を表わした鬼瓦が採用され、天平年間には眼をつりあげ、上下の歯牙を剥き出し、鬚の逆巻く顔面だけの鬼面文鬼瓦が作られ、南都の諸大寺でも使用される。ついで、奈良時代の中ごろから後半にかけて、団栗眼に獅子鼻で、口の下端や下歯を欠くなどの特徴を持つ鬼面文の鬼瓦が南都の寺々で作られ、いわゆる南都七大寺式鬼瓦が出現する。
 大安寺出土と伝えられる、この鬼瓦は南都七大寺鬼瓦の代表的な一例であり、同類の瓦は、東大寺や法隆寺などで出土している。東大寺の鬼瓦には、講堂跡出土の完形品や西塔跡出土品があり、いずれも伝大安寺出土鬼瓦の原型を基本に外区の連珠文帯の外側にさらに素文帯を付加して、ひとまわり大きく作り上げている。東大寺の西塔は、天平勝宝3年(751)に、講堂は同5年(753)に造営が開始され、大安寺の鬼瓦の年代を考える上に参考になる。

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