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細山坂東谷古墓出土火葬骨蔵器

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2018年7月20日

細山坂東谷古墓出土火葬骨蔵器

7号墓 出土状況

細山坂東谷古墓出土火葬骨蔵器 4組9箇
附 鉄板状製品 1枚
簪状骨製品 2本

年代

平安時代

法量

7号墓

身部器高 20.5cm、蓋部器高 17.6cm
鉄板状鉄製品 長さ34.5×幅4.0×厚0.3cm

9号墓

身部器高 30.2cm(推定)、蓋部器高19.0cm

10号墓

身部器高 26.5cm、蓋部器高 22.0cm
蓋部器高 19.5cm 

簪状骨製品2本
長さ4.2×幅0.7cm、長さ4.45×幅0.65cm

11号墓

身部器高 22.5cm、蓋部器高 11.0cm

所有者

川崎市

所在地

川崎市中原区等々力1-2 川崎市市民ミュージアム

指定

市重要歴史記念物 平成9年4月22日指定

解説

 遺跡は、昭和58年に戸田有二氏を団長とする坂東谷遺跡発掘調査団が発掘したもので、標高112m前後をはかる丘陵南斜面から火葬骨蔵器が出土している。火葬骨蔵器は、7・9~11号の4墓壙に納まっていた。
 7号墓の規模は、東西1.3m、南北1.6m、深さ0.8mで、壙底はさらに北側へ傾斜する掘り込みとなっている。この掘り込みは、北側の壙底よりさらに深まり、副室状の構造となっている。火葬骨蔵器は、この副室状の空間のなかに納まっていた。骨蔵器は、胴部上半を鋭利な刃物で裁断した土師器甕2箇を「合わせ口状」にして横位に置き、その下部と周囲は木炭で覆われていた。この木炭層のすぐ北側から、鉄板状製品がほぼ水平の状態で発見された。骨蔵器の身部は、胴部下半にへラ削りが明瞭にのこり、内面のほぼ中段には接合痕が段となって一周している。蓋部は身部同様、底部付近のへラ削りが丁寧で、内面の接合痕が段となっている。胴部の最下半は、重みでつぶれかけたように歪んでいる。骨蔵器内の火葬骨から、被葬者は成年男性と鑑定された(註)。伴出した鉄板状製品は、片方の先端がやや丸味をもつが、全体的には短冊型といえる。錆が全体的に進み、長辺中央でやや彎曲する。片面には、中央部から先端近くに木質(ヒノキ)が付着していた。X線照射をおこなったが、文字等は確認できなかった。
 9号墓は、7号墓の東約7.5mの位置から発見された。墓坑は、東西約0.85m、南北約0.75m、深さ約0.5mのほぼ正方形で、壙底には炭化物(木材はモミ材)が敷かれていた。
 骨蔵器は土師器甕で、口縁部を上にした正位の状態で炭化物上から発見されている。蓋には、口縁部を欠損した土師器甕を逆位にして被せてあった。身部は、胴部上半に最大径があり、口縁部には横ナデが、底部近くにはへラ削りが認められる。骨蔵器内の火葬骨から、被葬者は成年で性別不明と鑑定されている(註)。
 10号墓は、9号墓の東北約1.5mの位置から発見されている。墓坑は、東西約0.8m、南北約0.82m、深さ約0.4mの方形にちかい楕円形で、壙底には炭化物(木材はクリ材)が敷かれていた。骨蔵器は、土師器甕を身部としたもので、口縁部を上にした正位の状態で炭化物上から発見され、蓋には、胴部上半を欠損した土師器甕2箇が逆位にして被せてあった。身部の土師器甕は、やや肩の膨らんだ器形で、口唇は著しく外反し、口縁部は垂直に立ち上がる。

細山坂東谷古墓出土簪状骨製品

10号墓出土 簪状骨製品

 表面はタテ・ヨコにへラによるナデやへラ削りが認められる。蓋部は、土師器甕を胴部で二分し、その下半部2箇を充てたものである。2箇ともほぼ同様の整形である。骨蔵器内の火葬骨から、被葬者は成年女性と鑑定されている(註)。骨蔵器内から、火葬骨に混じって簪状骨製品2本が伴出した。彫刻文様も丁寧に施されているが、2本とも端部に欠損が認められる。火熱を受けた痕跡があるので、頭部に着装したまま荼毘に付したものであろう。成年女性という被葬者の形質的特徴に符号する遺物といえる。
 11号墓は、9・10号墓の南約1.5mの位置から発見された。墓坑は、東西約0.6m、南北約0.64m、深さ0.48mの方形で、壙底には炭化物(木材はモミ材)が敷かれていた。骨蔵器は、口縁部を欠損した土師器甕を正位の状態で据え、蓋には胴部上半を欠損した土師器甕が逆位にして被せてあった。身部表面は横ナデ・へラ削りが、内面は横ナデが施されている。蓋部は、土師器甕の底部のみであるが、へラ削りが顕著である。骨蔵器内の火葬骨から、被葬者は未成年者(小児)性別不詳と鑑定されている(註)。
 火葬骨を収納する容器は、身部・蓋部ともすべて日常容器を骨蔵器に転用した、いわゆる「転用型骨蔵器」である。時期は、9世紀後半頃が中心であって、特に9・10号墓の身部等は、9世紀も第4四半期前後頃になろう。
 このように細山坂東谷古墓は、発掘調査によって得られた資料であるため、火葬骨蔵器の形態的特徴、転用にあたって容器損壊等の葬送儀礼、墓坑の形態と埋葬位、鉄板・簪等の随伴遺物とその出土状況、火葬骨の形質人類学的分析等、古墓総体がもつ歴史像が具体的に研究できる希有の事例といえる。もちろん、資料の主体となるものは、火葬骨を収納した個々の骨蔵器であるが、それに加えて墓誌か買地券を思わせる鉄板状製品、精巧な彫刻が施された簪状骨製品の随伴は、火葬骨蔵器に付帯する葬儀の様相を具体的に示すもので、その資料的価値はきわめて高いものと考えられる。

註:森本岩太郎氏の鑑定による。

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