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梶ヶ谷神明社上遺跡出土品

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2011年6月24日

竪穴住居址から発掘された土器群

竪穴住居址から発掘された土器群(第1次調査)

環状石斧

環状石斧 (第2次調査)

年代

 弥生時代中期(宮ノ台式期)

法量

一括

所有者

川崎市

所在地

中原区等々力1-2(市民ミュージアム)

指定

市重要歴史記念物 平成23年6月14日

内訳

1 土器 59点

第1次調査

22点(壺12、甕7、台付甕1、椀1、浅鉢1)

第2次調査

37点(壺12、甕10、台付甕2、台付鉢2、浅鉢2、高坏1、底部片1、土器片7)

2 石器 11点

第1次調査

3点(磨石1、砥石1、石皿1)

第2次調査

8点(環状石斧1、太形蛤刃石斧1、抉入片刃石斧1、磨石3、台状石器1、枕石1)

3 石製品 4点

第1次調査

3点(管玉3)

第2次調査

1点(管玉1)

4 鉄製品 4点

第1次調査

1点(板状鉄斧1)

第2次調査

3点(板状鉄斧1、鉄鑿2)

解説

梶ヶ谷神明社上遺跡は矢上川左岸の標高40~45mの多摩丘陵上に位置し、昭和42年3月に第1次調査、平成5年6~7月に第2次調査が実施され、弥生時代中期の竪穴住居址と遺存状態のよい土器、石器、鉄器、玉類が発見された。第1次調査は市内で確認された弥生時代中期の遺構・遺物の初事例である。

川崎市内の弥生時代の遺跡は、現在までに52遺跡(時期が重複する遺跡を含む)を数え、中期は13遺跡、その他多くが後期の遺跡である。梶ヶ谷神明社上遺跡は発掘当時、川崎市内で初めての弥生時代の中期遺跡として調査され、現在においても類例の少ない中期の遺跡としてその資料的価値は高い。
 また、遺跡から出土した鉄斧・鉄鑿などとともに太形蛤刃石斧・環状石斧・磨石・石皿、管玉など、素材や用途を異にする豊富な資料が竪穴住居址から出土した事例としても貴重な遺跡である。
 
 検出した遺構は竪穴住居址だけであった(第1次調査 1軒、第2次調査 2軒)が、発掘調査面積を考慮すれば、周辺一帯の台地上には、他の竪穴住居が存在していることが推測できる。また、南側の谷を挟んで対岸の馬絹古墳の墳丘下から中期の環濠、馬絹神社北遺跡からは中期の住居址が調査されていることから、これらの遺跡との関係を考える上で重要な遺跡となっている。
 確認された遺構のうち第2次調査は小さな楕円形から大きな楕円形の住居に拡張された推移が理解できる遺構である。また、竪穴住居址の西壁際に堆積した焼土灰層は、竪穴住居址に炭化材の検出がないことから、焼土灰を遺棄したと考えられる類例の少ない事例である。
 梶ヶ谷神明社上遺跡から出土した資料は弥生時代中期後半期のものに限られ、その種類と量の豊富な点も含め、この時期の生産道具及び生産活動を考える上で、その資料性は非常に高い。
 土器は中期後半の在地系土器である宮ノ台式が大部分であるが、第1次・第2次調査を通じ、その遺存状態のよい個体が多い。第1次調査で出土した22個体のうち12個体がほぼ完全な形で出土し、残りの個体も口縁部ないしは底部を折損しただけの個体である。また、第2次調査からも12個体のほぼ完全な形の土器の出土があり、こうした使用に耐え得る状態を保っている土器の出土を単に破損した土器を竪穴住居址に廃棄した結果と想定することはできない。
また、これらの個体が壁際や柱穴際からまとまって出土していることから、再利用のために住居内に置き留めていたことを示唆している。出土品から竪穴住居の使われ方、廃棄時の住居の様相をうかがい知ることができる重要な事例である。
 また、在地系土器に混じり、中部地方の栗林式土器が第2次調査で出土しており、この地域との交流を裏付けるとともに、中期後半の地域間関係を考察する上で重要な意義を有している。
 大陸系磨製石器群である太形蛤刃石斧、抉入片刃石斧とともに、板状鉄斧が出土したことも大きな特徴である。弥生時代の鉄器は手斧、刀子などの工具を中心に全国的には400遺跡、1000点に及ぶ出土がある。鉄斧は全国で270点、県内で25点が出土しているが、太形蛤刃石斧、抉入片刃石斧とともに同一の遺構から出土する事例はまれである。
 弥生時代中期後半は石器から鉄器への移行時期であることが推測されているが、そのことを裏付ける出土状態を示している。
 環状石斧は採集品や破片を含め、神奈川県では8例、関東でも41例ほどが知られているに過ぎず、その帰属時期も縄文時代と弥生時代の両時代に見られる特異な遺物であり、梶ヶ谷神明社上遺跡出土例は、帰属時期が明確な資料であるとともに、完全な形を残したまま出土した資料である。環状石斧の製作時期や用途問題を考究する場合の一級資料とすることができる。
 石器のなかには、管玉が4点あるが、装身具である管玉は、通常装着した状態あるいは副葬品として、再葬墓や方形周溝墓などの墓から出土する。住居址から出土する玉類をめぐる解釈のひとつに製作場所とする考え方があるが、この場合は製品となった玉類以外に、未成品の玉類や製作途上にできる剥片及び製作工具の出土など、製作場所を裏付ける資料が必要になる。しかし、梶ヶ谷神明社上遺跡の場合、そのいずれも確認されていないため、本遺跡の出土状態を従来の考え方で解釈することはできず、竪穴住居址出土の玉類に対する保管状況のあり方、威信材としての評価など新たな研究の糸口となる可能性がある。
 以上のように、梶ヶ谷神明社上遺跡からは、弥生時代中期後半、宮ノ台式期に関わる質・量共に充実した内容を持つ遺物が出土しており、これが弥生時代社会の研究や生活の解明に果たす役割は大きいものと思われる。

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