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庚申塔(無量院)

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2004年12月8日

庚申塔(無量院)

庚申塔 1基

年代

江戸時代[寛文元年(1661年)]

法量

総高188.5cm
(宝珠34cm、笠24.5cm、火袋26cm、中台23cm、竿81cm、)
幅笠62cm、火袋30cm、中台45cm、竿26cm

所有者

所在地

幸区小倉2-7-1

指定

市重要郷土資料 昭和63年11月29日指定

解説

 「庚申」は「かのえさる」とも読み、60日に一度めぐってくる庚申の日に、その夜を眠らずに過ごして健康長寿を願う信仰がある。これを守庚申とか庚申待という。
 庚申塔の起源は、室町時代末期の庚申待板碑にさかのぼることができるが、現在最も一般的なものとして数多く見ることができるのは、江戸時代の年号が刻まれている墓石型のものである。庚申塔は大きく分けて像塔と文字塔に分類することができる。像塔には、青面金剛を刻んだものが最も多く、次に三猿を刻んだものが続いているが、この他に如来像・観音像・地蔵像などがある。
 文字塔は、「庚申塔」と刻むものが最も多く、その他「青面塔」「青面金剛」「猿田彦大神」、また名号や題目を刻むものなど多くの種類があり、また塔の型もさまざまに分けることができる。
 本塔は、本堂右側の庭園内に安置されている寛文元年9月吉日の紀年銘を有し川崎市博物館資料調査団の『川崎の庚申塔』(昭61)を見ると川崎市域で確認されている庚申塔320基のうち最も古い紀年銘をもつ塔とされる。
銘文は、摩滅が著しく判読がむずかしい状況にあるが、小倉村の講員による二世安楽を願っての地縁的結合集団による造立であったことが窺える。

庚申塔(無量院) 銘文

 本庚申塔は、火袋部に六地蔵を、竿部の節の上部に三猿が陽刻され、正面向で右から口、耳、目を塞ぎ、控え目に雄雌が表現されている。
 近世初期、江戸及びその周辺地域には、地蔵尊、阿弥陀、聖観音などを主尊とする庚申塔が多く見られるが、六地蔵を火袋に刻む灯籠の庚申塔は珍しい。庚申信仰と六地蔵を習合して表現する等、近世初期の庚申信仰を知るうえで、貴重な価値を有している。
 なお石灯籠が庭園に用いられるようになったのは、茶道の確立された戦国時代からとされ、江戸時代に入って村落の社寺の参道や入口に置かれるようになり、一般の人から親しまれる石造物として造られてきた。

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