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シッシー君の文化財探訪日記 2012年12月

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2012年12月18日

シッシー君 自画像

 川崎市内の豊かな歴史や魅力を物語る文化財や博物館等の情報を、川崎市文化財キャラクターのシッシーくんがご紹介します。

 【シッシーくん】
 市域3か所に伝わる獅子舞から生まれた文化財の精。川崎市の文化財保護推進キャラクター。
 性格はおっちょこワイルド。好物はかわさき育ちの野菜・果物。口癖は「シッシッシー」。

2012年12月14日 赤穂義士遺品一般公開

幸区下平間の称名寺。門前の写真

 極月14日といえば、みなさんもうお分かりですね!そう、赤穂浪士の討入りの日だっシー。

 例年12月14日には、幸区下平間の称名寺(しょうみょうじ)で、「赤穂義士遺品一般公開」が行われます。

  なんで川崎で赤穂義士?と思われたアナタにむけ、解説するッシー。

 下平間村の軽部五兵衛は、農業経営の傍ら、赤穂の浅野家の江戸屋敷へ秣(まぐさ・馬の飼料)を収めたり、浅野家の江戸屋敷の下掃除(人糞=下肥【しもごえ】を田畑の肥料として利用するため、これを回収、分配する)を請け負っていました。元禄14(1701)年3月の松の廊下の刃傷事件後には浅野家の江戸屋敷立ち退きの手伝いをするなど、深い縁がありました。赤穂藩が解体され、浪人となった藩士のうち、堀部弥兵衛(ほりべやへえ)など、軽部家に世話になったものもいたらしく、その後、軽部家の敷地内に赤穂家浪人のための隠れ家が建設されました。おもに富森助右衛門(とみのもり すけえもん)が住み、討入り決行直前に大石内蔵助が江戸に向かう際、ここに10日間ほど滞在しました。

 滞在中の大石は、討入りに際しての決め事である「討ち入り十ヶ条の訓令」の原案を練ったり江戸の状況を窺うなどの諸準備をしたと伝えられているんだッシー。

  この軽部家は、稱名寺の向かい、現在は県営住宅になっている場所にあったんだッシー。称名寺や近隣の法安寺のお坊さんは、この隠宅での浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)を祀る法事を務めていて、その縁で赤穂義士の遺品が称名寺にのこされているのではないかとご住職が仰っていました。

 称名寺は、昭和20年4月15日の川崎大空襲で本堂など全部が消失してしまったそうですが、赤穂義士の遺品は、近くの農家の土蔵に預けられていたため、焼けずに残ったんだって。

 前置きが長くなったけど、そんなわけで下平間の称名寺は赤穂義士と深いかかわりがあるんだッシー。

公開当日、御住職から公開されている遺品を説明するご住職

 この日見ることのできるのは、川崎市の指定文化財になっている「紙本着色四十七士像(しほんちゃくしょくしじゅうしちしぞう)」のほか、大石内蔵助の絵や書の掛け軸とおかめの面、富森助右衛門の愛用の銚子や盃、堀部安兵衛(ほりべ やすべえ)や大高源吾(俳号・子葉)、源吾と俳句を通じて親交のあった俳人・宝井其角(たからい きかく)などの手紙類などです。

 「紙本着色四十七士像」は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の成立以前、討入りの40数年後に制作されたもので、寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)を除く46人を大石内蔵助を頂点に左右対称に描いています。

 実際に見てみると、ホントに幅が狭くて縦長で、こんな掛け軸は初めて見た~、めずらしいッシーって思ったよ。
ちなみに寺坂吉右衛門が描かれなかったことについては、諸説あって正確なところはわかりません。 

 また境内には、大石内蔵助や彼が師と仰いでいた山鹿素行(やまが そこう)の和歌歌碑などもあり、みどころは一杯です。

14日の公開の際には、称名寺のご住職から平間村と赤穂義士のかかわりや、遺品についての解説がされています。

 毎年公開されていますので、ボクの文化財探訪で初めて知ったという方は、ぜひ来年の12月14日に、称名寺を訪ねてみてッシー!

 また、詳しいことを知りたい人は、川崎市文化財調査集録第30集に集録されている法政大学名誉教授の村上直先生の「赤穂浪士の討入りと武蔵国橘樹郡下平間村」 をどうぞ。(市内の図書館に配架されています。また、文化財課窓口で好評販売中です!)

平間山 称名寺

住所 〒212-0053  川崎市幸区下平間183  

電話 044(511)1674

交通 JR南武線「鹿島田」駅下車 徒歩10分

    JR川崎駅西口より川82・83・71系統「下平間住宅前」下車 徒歩3分 

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2012年12月1日 「安藤家長屋門」特別公開

 こんにちは!シッシーです。ついに先生も走るという12月!師走になってしまったッシー。今年もあとわずかですが、文化財探訪はどんどんやります!

安藤家長屋門(正面)イメージ

今日は、先日市の文化財に指定された中原区小杉陣屋町の安藤家長屋門の特別公開についてレポートします! 安藤家長屋門は個人所有の建造物のため、通常は外観のみしか見学することができませんが、市の文化財に指定されたのを記念して、特別公開が行われました。いつもは見ることができない長屋門の内側や裏側も、文化財課職員の解説付きで見学していただきました。

特別公開会場イメージ

 豊臣秀吉の小田原攻めによって滅亡した戦国大名・後北条氏に仕えていた安藤家の祖先が主家の滅亡後小杉村に土着帰農し、以来代々安藤家は地域の有力者として続いてきました。江戸時代には近隣の村々の名主を統括する割元名主として代官のもとで村政にあたりました。すごく古くから続くおうちなんだッシー。

 長屋門というのは、納屋や物置、使用人の住居などに用いられる長屋(細長い建物)の一部に開いた門のことを言います。時代劇だと、武家屋敷とかで門番さんが住んでいて、外から扉をたたくと窓から顔をみたあと、門の脇の潜り戸を開けてくれる、アレのことだっシー。

文化財課職員による解説を熱心にきく見学者(イメージ)

 安藤家の長屋門は、今から150年以上も前の江戸時代末期に建てられたもので、建築当初の部材が良く残り、建てられたときにどのようなスタイルだったかもわかっているという意味でとても貴重な文化財です。
 この日見学には、中原区を中心に160人余りが訪れ、みなさん、熱心に説明を聞いていました。

シッシーからのお願い

 安藤家長屋門は個人の住宅に付属する建造物です。見学の際には、近隣のお宅のご迷惑にならないよう、また住人のプライバシーには十分ご配慮ください。

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お問い合わせ先

川崎市 教育委員会生涯学習部文化財課

〒210-0004 川崎市川崎区宮本町6番地

電話:044-200-3305

ファクス:044-200-3756

メールアドレス:88bunka@city.kawasaki.jp