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多摩区(たまく)の歴史(れきし)

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小沢城址(おざわじょうし)

小沢城址

 小沢城址(おざわじょうし)は、自然(しぜん)の地形(ちけい)を上手(じょうず)に利用(りよう)した簡単(かんたん)な「とりで」のようなもので、室町時代(むろまちじだい)に作(つく)られたものと考(かんが)えられています。

 小沢城(おざわじょう)はその後(ご)も鎌倉(かまくら)、小田原(おだわら)の防衛線(ぼうえいせん)でしたが、戦国時代(せんごくじだい)よりあとには使(つか)われなくなりました。現在(げんざい)は緑地保全地区(りょくちほぜんちく)として整備(せいび)され、区民(くみん)いこいの場(ば)として親(した)しまれています。

菅(すげ)の六地蔵(ろくじぞう)

菅の六地蔵

 川崎街道沿(かわさきかいどうぞ)いに点々(てんてん)と6ヶ所(しょ)にお地蔵様(じぞうさま)が祀(まつ)られています。

 その昔(むかし)、菅馬場(すげばんば)の六地蔵(ろくじぞう)が山崩(やまくず)れで埋(う)まった時(とき)に子(こ)どもの病気(びょうき)が続(つづ)いたため、1707年(ねん)にお地蔵様(じぞうさま)を掘(ほ)り起(お)こして各集落(かくしゅうらく)で一体(いったい)ずつ祀(まつ)ったもので、今(いま)も地域(ちいき)で守(まも)られ信仰(しんこう)されています。

 

多摩川(たまがわ)の渡(わた)し場(ば)

 かつて、菅(すげ)から堰(せき)の多摩川(たまがわ)沿(ぞ)いには、対岸(たいがん)とを結(むす)ぶ渡(わた)し場(ば)がいくつかありました。

 人々(ひとびと)は、渡船(とせん)を使(つか)って頻繁(ひんぱん)に向(む)こう岸(ぎし)との交流(こうりゅう)を行(おこな)っていました。

 昭和(しょうわ)の時代(じだい)になると、小田急線(おだきゅうせん)や多摩川原橋(たまがわらばし)の開通(かいつう)などにより、渡(わた)し場(ば)はだんだんとその姿(すがた)を消(け)していき、多摩区内(たまくない)で最後(さいご)に残(のこ)った菅(すげ)の渡(わた)し場(ば)も、昭和(しょうわ)46年(ねん)の京王多摩川駅(けいおうたまがわえき)~京王(けいおう)よみうりランド゛駅(えき)の開業(かいぎょう)に伴(ともな)う利用者減少(りようしゃげんしょう)などのため、昭和(しょうわ)48年(ねん)に廃止(はいし)となりました。

 なお、当時(とうじ)使(つか)われていた船頭小屋(せんどうごや)は、日本民家園(にほんみんかえん)に保存(ほぞん)されています。

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