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江戸時代(えどじだい)

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2019年1月25日

コンテンツ番号1394

多摩川のお・か・げ!(たまがわのお・か・げ!)

ニヶ領用水の工事のようす

 江戸時代、かわさきに小泉次大夫という代官がいて、14年間かけて二ケ領用水をつくりました。
 (えどじだい、かわさきの こいずみじだゆう という だいかんがいて、14ねんかんかけて にかりょうようすいを つくりました。)

多摩川は平地より低いところにながれていて、農民は多摩川の水をおもうようにつかうことができませんでしたが、この二ケ領用水のおかげで、およそ、1850ヘクタールの水田に水がひかれるようになりました。
(たまがわは へいちよりひくいところに  ながれていて、のうみんは たまがわのみずを おもうように つかうことが できませんでしたが、この にかりょうようすいのおかげで、およそ1850へくたーるの すいでんに みずが ひかれるようになりました。)

  • 代官=江戸時代に幕府の土地を治めた役人
    (だいかん=えどじだいに ばくふのとちを おさめた やくにん)
  • ヘクタール=10000平方メートル
    (へくたーる=10000へいほうめーとる)
ニヶ領用水地図
円筒分水

円筒分水(えんとうぶんすい)

 二ケ領用水は長い時間がたつといたみがひどく、江戸時代中期、川崎宿の名主・田中丘隅がいちど修復しました。
(にかりょうようすいは ながいじかんがたつと いたみがひどく、えどじだいちゅうき、かわさきじゅくの なぬし・たなかきゅうぐが いちど しゅうふくしました。)

 1941年昭和16年には今の久地駅寄りにあった分量樋を平賀栄冶が設計したコンクリ-トの円筒分水につくりかえられました。
(1941ねん しょうわ16ねんには いまの くじえきよりにあった ぶんりょうひを ひらがえいじが せっけいした こんくりーとの えんとうぶんすいに つくりかえられました。)

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