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南武線のはじまりと戦争(なんぶせんのはじまりと せんそう)

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2019年1月25日

コンテンツ番号1403

南武線むかしばなし(なんぶせん むかしばなし)

電車の歴史図

 多摩川の砂利や奥秩父のセメントの材料を新しくできる工場に運ぶために、南武鉄道株式会社が鉄道をしきました。
(たまがわの じゃりや おくちちぶの せめんとのざいりょうを あたらしくできる こうじょうに はこぶために、なんぶてつどうかぶしきがいしゃが てつどうを しきました。)

1929年に、川崎・立川間の全線が開通しましたが、これが南武線のはじまりです。
(1929ねんに、かわさき・たちかわかんの ぜんせんが かいつうしましたが、これが なんぶせんの はじまりです。)

砂利=小さい いしのこと
(じゃり=ちいさい いしのこと)

焼け野原になった(やけのはらになった)

川崎空襲で焼かれた川崎駅前あたりの写真

 太平洋戦争がはげしくなった1944年頃から、川崎市も空襲をうけるようになりました。
(たいへいようせんそうが はげしくなった 1944ねんごろから、かわさきしも くうしゅうを うけるようになりました。)

兵器をつくる工場がたくさんあったので、これらの工場や原料、製品をはこぶ鉄道が爆撃の対象としてよくねらわれました。
(へいきをつくる こうじょうが たくさんあったので、これらのこうじょうや げんりょう、せいひんを はこぶてつどうが ばくげきのたいしょうとして よくねらわれました。

 1945年4月15日の夜の川崎空襲では、アメリカのB29爆撃機約200機が川崎区・幸区を中心に、町中に焼夷弾1349発をおとし、川崎の中心地は空襲で焼け野原になりました。
(1945ねん4がつ15にちのよるの かわさきくうしゅうでは、あめりかの B29ばくげきき やく200きが かわさきく・さいわいくを ちゅうしんに、まちじゅうに しょういだん1349はつをおとし、かわさきの ちゅうしんちは くうしゅうで やけのはらになりました。

  • 空襲=飛行機などで爆弾を落としたり、機関銃で打ったりして敵地をせめること。
    (くうしゅう=ひこうきなどで ばくだんを おとしたり、きかんじゅうで うったりして てきちをせめること。)
  • 焼夷弾=木造の家を焼くのに使われた爆弾。
    (しょういだん=もくぞうの いえを やくのに つかわれた ばくだん)。

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〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地

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ファクス:044-200-3931

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