〜「廃棄物埋立護岸工事記録」のナレーション〜 ■■■■■■廃棄物埋立護岸工事記録(1)■■■■■■■ 川崎市には現在4つの清掃場があります 川崎市の人口は、昭和58年2月現在、105万7千人 収集するゴミの量は1日1400トン これを焼却して生ずる灰の量は約280トンになります 焼却灰のほか市内の工事現場から生じた残土等の廃棄物を 内陸部だけで処分することは困難になってきました 市内で発生する廃棄物は10年でおよそ1510万m3 霞ヶ関ビルをますにして29杯もあります この膨大な量の廃棄物を受入れる護岸を作り、その中へ廃棄物を埋め立て 92万5千m2の土地を造成しようとする計画が 昭和49年に立案されました タイトル:廃棄物埋立護岸工事記録 東京都との境を流れる多摩川の河口、浮島町の南沖合いに広がる海面 ここが処分場予定地です A護岸は830m B護岸は1275m C護岸は733m 埋立護岸の総延長は2878mです 浮島町は石油コンビナートのほか 宮崎県の日向、千葉県の木更津と結ぶカーフェリーの基地としてよく知られています そして、多摩川の対岸には東京国際空港もあります 工事開始は昭和50年度、完成は57年度の予定です この付近の海底は、軟弱なためまず地盤改良工事から始められました 改良方法は海底に砂杭を作り、地盤を締め固める強制置換工法と もうひとつ軟弱土砂を掘り取った後を良質な砂で埋め戻す床掘り置換え工法のふたつが採用されました 強制置換工法とは、直径が70cmのケーシングを海面下40mまで打ち込んだ後 ケーシングを振動させながら引き抜いていき、直径1mの砂杭うぃ作る工法です A護岸の取付部には、L型の扶壁式護岸が用いられました これらのブロックは千鳥町のブロックヤードで作られました A護岸の取付部に用いられた扶壁式護岸は、軽量で経済的な構造です 完成したブロックは、京浜運河を台船に乗せられて運ばれ 護岸予定位置に慎重に据付けられました 護岸上部にコンクリートが打たれた後 台風等波浪から護岸を守るための5トン型消波ブロックが据付けられてこの部分の工事が完了しました 地盤改良のひとつ、床掘置換工法 大型のグラブ式しゅんせつ船により海面下35mまで床掘りされました 床掘りが完了した後、千葉県より大型の土運船により運ばれてきた大量の山砂が海底に投入されました 扶壁式護岸に続き、A護岸の中央部とC護岸の中央部には、直接波の影響を受けないため 自立鋼管矢板式護岸が採用されました その置き換えられた良質の砂が安定した後 直径80cm、長さ16mの連続鋼管矢板が次々と打ち込まれていきます 一方、廃棄物埋立護岸に使用する大量の5トン型消波ブロックの製作が 東扇島の第2工区埋立地で続けられました 連続鋼管矢板の上部には、コンクリートが打たれこの部分の護岸が完成していきます B護岸はA護岸やC護岸に比べ 波浪の影響を強く受けるため急速施工が可能なプレハブセル式工法が採用されました セルとは、円筒形の茶筒の底の無い形のものです B−1断面とB−2断面の構造は変わりませんが 地質の関係でセルの直径はB−1が16m、B−2が19mです プレハブセルの施工方法は、基地のヤードとプレハブ台船上で組み立てるふたつの工法があります プレハブ台船上で124枚の鋼矢板で円筒形に組立られた 直径16m、高さ12.5mのセルが所定の位置に運ばれます この大きさのセルはA護岸とB護岸のコーナー部分に29函据付けられました セルの打ち込みは、振動するバイブロハンマーによって、およそ10分で打ち込み完了です 海底に打ち込まれたセルは、そのままでは波浪の影響を受けて不安定なため 山砂がその日の内に投入されます ガット船で4隻分、およそ2000m3が投入されてセルは安定します セルとセルの間は、およそ1.5m その間を鋼矢板で接続するアーク部の工事が引き続き進められています そしてアーク部の中にも山砂が詰められます 山砂の上に砂岩を敷き詰めたセルの前面には、消波ブロックが据付けられました 基地のヤードでは、直径19m、高さ14mの大型セルの建て込みが行なわれています 148枚の鋼矢板で組み立てられたこの大型セルは C護岸よりに53函据付けられました 大型セルが巻上げ力1000トンの大型起重機船によって 所定の位置に運ばれていきます セルを吊り出してから砂の投入が完了するまで、およそ12時間かかります また、一度吊り上げたセルは再び組立台に戻すことは出来ません そして、打ち込んだセルの中にはその日の内に砂の投入を終わらせ安定させなければなりません このためセルを吊り出すかどうかは、気象情報等をもとに 午前4時頃から慎重な検討が行なわれました 測量により正確な位置が決まると セル上部の26個のバイブロハンマーが一斉に振動を開始して セルを打ち込んでいきます 打ち込みが終わったセルの中には ガット船でおよそ3000m3の山砂が投入されます セル上部に鉄筋と型枠が組まれ、その中へコンクリートミキサー船からコンクリートが打たれます 高さ2mの波返しの工事です 埋立区域内の海底に埋設されていた浮島シーバースのパイプラインが海上に移設され完成しました ■■■■■■廃棄物埋立護岸工事記録(2)■■■■■■■ C護岸の床掘置換工事も最盛期で大型のしゅんせつ船がフル運転です 海面下35mまでしゅんせつ作業はおよそ4ヶ月に渡り、250万m3の土砂が取り除かれました 所定の断面にしゅんせつが完了した後に330万m3の山砂を投入、地盤改良が行われました 1隻の土運船の大きさは5000トン積でこれはトラックの450台分です C護岸取付部の構造は直立消波ケーソンです これは廃棄物埋立護岸の北側が日本カーフェリーの乗り場に近く カーフェリーへの波の影響を少なくするもので、ケーソンと消波ブロックの性能を兼ね備えたものです 直立消波ケーソンの大きさは 長さ10m、幅8m、高さ7.5mで 全て2000トン級の浮きドックの上で作られました 1函の製作期間は、およそ40日 ケーソンはふたつの空洞に分かれていて、遊水部といわれる前方の空洞は 正面の穴から入った波のエネルギーを吸収し消波の役割を有します 後ろの空洞は山砂の重量でケーソンを固定させるものです 出来上がったケーソンは一旦海面に浮かされ やがて所定位置にえい航されます C護岸の所定位置へ全部で24函据付けられました 後ろの空洞に固定用の山砂がいっぱいになるまで投入されます ケーソンの上部全体に別の場所で作ったコンクリートの蓋を据付けて完成です この直立消波ケーソン護岸の延長は240m ここで市民に海釣りを楽しんでもらおうとフェンスや手すりなどを取り付け およそ200人を収容出来る釣り園が出来上がりました 完成間近の廃棄物埋立護岸 昭和57年にはすでに一部使用を開始していた中仕切りへの埋め立てが本格的となりました 市内の公共工事現場から発生する残土、それに焼却灰も毎日運びこまれています また川崎港内のしゅんせつ工事から発生する土砂の土運船による搬入も開始されました 昭和58年3月 廃棄物埋立護岸は8年の歳月と400億円の工費をもって完成しました これによって、現在、各都市で大きな環境保全問題を起している廃棄物の処理も解決し その意味は大変大きなものがあると言えましょう