〜「東扇島埋立工事記録(ダイジェスト版)」のナレーション〜 ■■■■■■東扇島埋立工事記録(ダイジェスト版)(1)■■■■■■ ベイサイドを走る、首都高速湾岸線 市民と港を結ぶコミュニティ施設、川崎マリエン スピーディーな荷役が出来る、川崎港コンテナターミナル そして、首都圏の物流の拠点、かわさきファズ物流センター これらの施設がある東扇島は、川崎市の埋立事業によって生まれた広大な土地 長年に渡って最先端の技術と人間の英知を結集させて埋立工事を行なってきました その歴史を振り返ってみましょう タイトル:東扇島埋立工事記録(ダイジェスト版) この事業は、手狭になった市営埠頭の沖合いにおよそ420haの埋立を行なおうとするもので 昭和42年ここに公共埠頭をはじめ企業や工場、公園、緑地等がある川崎港を作ろうという計画が決定しました。 こうして本格的な工事の開始を前に、昭和47年11月13日、市営埠頭で起工式が行なわれました 川崎市長らがテープに斧を入れ、順調な着工を祝い、これからの工事の安全を祈りました 埋立工事は全体を6工区に分け、まず1、2工区から始められました 工事は、埋立地の枠作りといった二重柵の軽量鋼矢板の打ち込み作業から行なわれました 埋立の主役は、このポンプ船 8000馬力で先端に付いた巨大なカッターヘッドを回転させながら 水深マイナス25mまでの土砂を猛烈な勢いで吸い取ります 土砂の噴き上げ作業開始 噴き上げにはポンプ船から送られてきた土砂を放射状に吐き出して、仮護岸線に体積させる方法と 埋立地に張り巡らされた排砂管から噴き出す方法が採用されました このように来る日も来る日も沖合いからしゅんせつした土砂を噴き上げ続けておよそ3ヶ月 1工区に中州が現れ始めました 噴き上げを開始してから、11ヶ月 昭和49年4月には1工区が 昭和50年3月には2工区の埋立が完成 そして3工区の埋立へと 埋立の土砂を噴きこむ前に土砂の流出を防ぐための護岸が造られました そのひとつは船溜り周辺に設けた長さ380mのケーソン護岸 ケーソンは海上と陸上で製作され、幅6.9m、長さ10m、高さ7.5mの 大きな鉄筋コンクリートの箱を38個沈設しました 完成した380mのケーソン護岸です 3工区の埋立の主役は、この大型特殊しゅんせつ船「出島」 総排水トン数およそ8400トン、1時間あたり1000m3を揚土する大変優れたしゅんせつ船です パイプの直径2m、これは日本とオランダとの技術提携によって作られたもので 当事、わが国ではここで初めて使われました 従来のカッター式ポンプ船と違い、埋立に不適当な軟弱なシルト層が上層にあっても これを海底に残したまま海面下80mにまである良質な砂を吸い取る事が出来ます 「出島」から埋立地までの距離が長いため、途中で加圧して再び送り出すブースター船 また、「出島」はパイプが敷設されていないところでも土運船で運べるようになっているのです 3工区での主な工事のひとつ水深マイナス10m岸壁の築造 斜めに打った控え鋼管杭とその前面の鋼管矢板をタイロットで連結 中詰や埋立に使われる良質な山砂が千葉県から運ばれてきました 土運船の山砂をドラムバケットで狩り出しては、60mまで伸びるベルトコンベアによって 所定の場所に運んでしまうこの船は、リクレーマー船 埋立工事と平行して進められてきたのが、京浜運河の下を通る川崎港海底トンネルの工事 埋立地と内陸部を結びます 8個の沈埋管を海底で繋ぎ合わせた、全長2180mの海底トンネルは 昭和54年10月に開通しました 昭和54年11月22日 3工区の水深マイナス10m岸壁に第1船が接岸 工事関係者にとっては記念すべき日であり 昭和47年着工以来、7年目にして迎えた快挙でした これで3工区の埋立工事は無事完了となったのです ご覧頂いている中央の海面は、4、5工区となるところです 昭和58年に計画が改定されて、総面積が443haに そしてこの4、5工区は、時代に対応したコンテナ埠頭を建設することになったのです ここの護岸の総延長は、およそ2300m 改定の地盤改良は置換工法とサンドコンパクション工法の2種類を採用 護岸の底部となる改定の地盤は軟弱なので その部分の土砂は良質の山砂と交換しなければなりませんでした そのため常時6隻のグラブしゅんせつ船によって大規模な床掘りが行なわれました 床掘り終了後、良質な山砂が専用の運搬船によって次々と床掘りをした海底に投入されました 一方、サンドコンパクション工法による地盤改良も一部で行なわれ およそ7000本の砂杭が打たれました こうして海底の地盤改良が終わると護岸の骨格ともなる本体工事へ 海側と埋立側にそれぞれ鋼管矢板と鋼矢板が打設され、中詰され 最後に厚さ10cmの被覆コンクリートが打たれて、2300mの護岸が出来上がっていきます 昭和61年の春には、およそ60%の護岸が海上に鮮やかな白い姿を現しました そして昭和62年には、東扇島埋立地に最後の護岸が完成しました 道路工事や企業の建設工事と平行して、公園や緑道も整備されていきました 北公園には、かつてここがのりや魚介類を取っていた川崎漁業ゆかりの土地であることを記念し 漁業権を持った人達の協力を忘れないようにと石碑も 公園はここで働く多くの人達や、市民の憩いの場 中公園には様々な遊具施設も整いました 平成3年春 これは東扇島埋立地のほぼ中央を横切って、隣の浮島に至る 首都高速湾岸線の建設の進捗の様子です 日本鋼管側の道路は完成しました また、国際貿易港への発展と市民のための港作りの拠点となる 川崎市港湾振興会館、愛称「川崎マリエン」が埋立地のほぼ中央に 平成4年3月完成 様々な施設を備えたこの会館の活用によって東扇島全体の活性が期待されます こうして東扇島の埋立工事はここに全て完成しました 平成6年7月26日 4、5工区に建設される川崎港コンテナターミナルの工事に先立ち 企業による安全祈願祭が執り行われました 工事は順調に進み、平成6年12月にはコンテナヤードのコンクリート打設が行なわれました フィニッシャーでコンクリートを舗設 その上を点圧ローラーで固めていきます 翌年の平成7年3月 インターロッキングの施工が最盛期をむかえていました ドイツ製のマシンを使って、一度に大量にセットし 効率よく敷設していきます また、同じ頃 トランスファークレーンのレールの載るが台も完成し、レールが設置されました この年の夏 トランスファークレーンの受入の準備が整ったコンテナターミナルで陸揚げ 12月には、ここの主役ともいえるガントリークレーン2基の設置も コンテナターミナルとしての姿を見せ始めました ■■■■■■東扇島埋立工事記録(ダイジェスト版)(2)■■■■■■ そしてコンテナ船の入港、接岸 いよいよ川崎港コンテナターミナルが動き始めました オーバーパナマックス対応で本船側と陸側それぞれに設置したトロリーと 独立運転席による半自動化本船荷役が可能となりました コンテナターミナルの背後には輸入促進基盤施設 川崎ファズ物流センターもオープン このように東扇島は首都高速湾岸線と東京湾アクアラインの結節点となる浮島や 東京国際空港に隣接する恵まれた立地条件を生かし 首都圏の物流拠点としての役割はもとより 世界を結ぶネットワークの核として またシビルポートアイランドとして これから大きく発展していくことでしょう