川崎市水道100年史(概要版)
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kawasaki watersupply100th昭和12年~令和3年工業用水道事業のあゆみあゆみ年臨海部工業地帯川崎市の工業は、実業家浅野総一郎氏による臨海工業地帯埋立事業や神奈川県による京浜工業地帯造成事業の推進と相まって、その発展の道を歩み始めました。一方、行政においても、川崎町時代から石井泰助町長の献身的な努力や町議会による「工場招致は100年の町是」という決議のもと工場の誘致を進め、川崎市誕生後もこの方針を引き継ぎ、積極的に工業都市建設を推進してきました。このように市と民間の協力のもと、川崎は工業都市として発展していくことになりましたが、当初これらの工場で使用する工業用水は、海水や工場付近のさく井による地下水を水源としていました。しかし、各所で大量に地下水を利用した結果、地下水位の低下や取水不能に陥るようになり、工場生産にも支障を及ぼすこととなったのです。そこで、特に多量の工業用水を必要としていた民間3社が共同して、民営工業用水道を建設する構想が持ち上がり、具体的な施設計画を立案、実施に踏みきるところまでいきましたが、将来の川崎市の姿を見据え、最終的には市営により工業用水道を建設する方針が樹立されました。これにより完成した工業用水道は、わが国最初の公営工業用水道事業として、昭和12年(1937)に給水を開始しました。その後、産業経済の急速な進展等による需要の増加に伴い、数次の拡張を行い給水能力の拡大を行ってきました。しかし時代が進むにつれ、産業構造の変化や回収水の利用等により水需要が低迷し、給水能力と配水量がかい離する事態が生じることとなりました。こうした動向を背景に、給水能力をダウンサイジングする再構築事業を行い、平成29年(2017)3月に完了しました。今後も時代の変化を見極めながら経年化した施設及び管路の更新・耐震化を進め、工業用水の安定供給に努めていきます。[ 工業用水道事業 ]11昭和6〜18年(1931〜1943)地下水の過剰な汲み上げによる地盤沈下(渡田2丁目135㎝、宮本町51㎝)昭和12年(1937)7月平間浄水場完成(一部通水開始)昭和14年(1939)7月創設事業が完成昭和24年(1949)3月宮内取水設備完成昭和22年(1947)6月相模ダムが完成昭和29年(1954)11月長沢浄水場が完成昭和33年(1958)3月井田・木月地内のさく井完成昭和34年(1959)7月応急水源増強昭和35年(1960)3月菅地内のさく井完成昭和37年(1962)4月下水処理水を工業用水に転用6月菅・生田地内のさく井完成昭和39年(1964)3月生田浄水場内高速凝集沈でん池完成昭和40年(1965)3月城山ダムが完成3月長沢浄水場内凝集沈でん池、導水路完成昭和41年(1966)3月平間ポンプ所完成昭和49年(1974)4月水道より工業用水に補てんを開始(企業団受水を開始)昭和53年(1978)3月長沢・生田浄水場に排水処理施設完成第1期拡張事業S16~20第2期拡張事業S26~30第1次暫定拡張事業S31~33創設事業S11~14第3期拡張事業S34~39第4期拡張事業S37~41第2次暫定拡張事業S33~35戦争により中断

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