川崎市水道100年史(概要版)
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~令和3年~昭和56年~昭和39年明治22年(1889)に町制が施行された旧川崎町では、井戸を掘っても飲み水はほとんど得られず、二ヶ領用水などの水を売る「水屋」に頼る状態で、人々は水不足に苦しんでいました。また、当時の町議会において「工場誘致は100年の町是」という指針が掲げられ、工場の誘致こそが川崎を発展させる最良の手段だとされましたが、そのためにも水道の整備は絶対条件でした。●創設事業このような背景から大正8年(1919)に戸手浄水場(現在の幸区役所の場所にありました)の建設などに着工、大正10年(1921)7月1日、ついに給水を開始しました。川崎初の水道は多摩川を水源とし、宮内水源地(中原区)から木管により戸手浄水場へ送り、家庭や工場に給水を行いました。●第1期拡張事業~第3期拡張事業給水開始から3年後の大正13年(1924)7月1日に川崎町、大師町、御幸村の合併により「川崎市」が誕生しました。このときの合併条件に「上水道の迅速な普及に努めること」とあり、川崎町の水道に期待が寄せられていたことがわかります。まさに「川崎市誕生の裏に水道あり」と言えるでしょう。第1期拡張事業は、この合併した地域への給水を含め、給水能力の増強を目的に実施されました。さらに隣接する田島町でも水道を求める声が大きくなり、これをきっかけに川崎市と合併、それに対応するため早急に第2期拡張事業を行いました。その後も人口の増加は続き、さらに昭和6年(1931)に勃発した満州事変が工場での使用水量を急増させ、1日最大配水量が施設能力を超えることもあったことから、すぐにも第3期拡張事業に取り組むこととなりました。この拡張事業では、現在の多摩区稲田堤から多摩川の伏流水を取水し、生田浄水場を新設しました。kawasaki watersupply100th[創設~第3期拡張事業]大正10年~昭和14年水道事業のあゆみあゆみ年[創設]配水管の布設工事川崎町役場前の配水管布設工事の様子。大正10年(1921)の通水式は、この近くの小学校で町民が歓呼するなか盛大に行われた。3明治38年(1905)9月日露戦争終戦大正8年(1919)2月上水道創設事業が認可される大正14年(1925)12月川崎市田島町上水道組合設置許可昭和2年(1927)4月田島町編入川崎市田島町上水道組合廃止戸手浄水場が完成大正10年(1921)3月7月通水開始(川崎町)5月稲田水源地通水大正13年(1924)7月川崎町、大師町、御幸村合併市制施行(人口50,188人)昭和5年(1930)市の人口が10万人を超える昭和13年(1938)市の人口が20万人を超える昭和6年(1931)9月満州事変昭和8年(1933)8月中原町編入昭和12年(1937)4月高津町、日吉村の一部編入6月橘村を編入明治43年(1910)11月初の水道布設計画を立案大正元年(1912)12月最初の水道布設工事の認可を申請大正2年(1913)認可申請書取り下げの内命創設事業T8~10第1期拡張事業T14~15第2期拡張事業S5~6第3期拡張事業S9~14

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