川崎市水道100年史(概要版)
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[第2拡]配水管の布設工事[第2拡]戸手浄水場発祥記念石碑(幸区役所敷地内)4石井泰助は明治28年(1895)に初当選した町会議員を経て、助役、川崎町長を歴任。川崎の地域振興に力を注いだ。日露戦争後からは工場招致に尽力する一方、①多摩川の治水工事、②川崎町周辺の区画整理と道路整備、③町営水道の建設の三大事業を掲げて工場地帯のインフラ整備にも取り組んだ。この間、三度にわたり川崎町長をつとめ、町営水道の創設に最も心血を注いだ。その後、大正13年(1924)から昭和4年(1929)まで初代川崎市長に就任し、産業都市・川崎の礎を築いた。彼の嗣子・石井恒夫も水道の技術責任者をつとめるなど、拡張工事に従事した。草創期の川崎水道を支えた石井父子の墓は、川崎区旭町の徳泉寺にある。石井泰助草創期の川崎水道を支えた石井泰助(1865~1931)コラム10月稲田町、向丘村、宮前村、生田村編入5月生田第1浄水場が完成昭和14年(1939)4月柿生村、岡上村編入宮内水源地戸手浄水場稲田水源地生田浄水場菅さく井多摩川東京都横浜市川崎市水源をもとめて多摩川の恵みを水道水に~市制施行当時~

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