川崎市水道100年史(概要版)
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~令和3年~昭和56年~昭和39年●「相模川総合開発事業」と 第6期拡張事業~第7期拡張事業昭和30年代の高度経済成長により経済活動はさらに活発化し、人口の激増とともに水需要に拍車をかけ、さらなる水源の確保が必要となりました。神奈川県全体でも同様の状況であったため、県を主体として相模川をさらに開発する「相模川総合開発事業」(城山ダムを築造)の実施が決まりました。これを水源とした川崎市の第6期拡張事業では、長沢浄水場等を増設、鷺沼配水池を新設しました。その後も好景気はさらに続き、神奈川県としても勢いの衰えない水需要への早急な対応が求められていました。これを受け、県の再調査の結果、「相模川総合開発事業」で開発した水源からさらに取水できることが判明し、これにより川崎市は第7期拡張事業の実施を決定しました。この拡張事業では、津久井分水池との間に約24キロメートルに及ぶ第2導水ずい道と潮見台浄水場を新設しました。●「酒匂川総合開発事業」と第8期拡張事業第7期拡張事業完成後も日本中が好景気に沸いており、神奈川県全体で早くも水量の不足が見込まれていました。しかし相模川からはこれ以上の取水が不可能であったため、さらに新しい水源として酒匂川に着目し、県を主体として「酒匂川総合開発事業」(三保ダムを築造)の実施を決定しました。この事業では、これまでと違い、神奈川県、横浜市、川崎市、横須賀市で「神奈川県内広域水道企業団」を設立し、企業団で浄水処理した水を受け取る形を取りました。第8期拡張事業では、受水のための整備や、標高の高い市内北部に配水塔等の築造を行い、昭和55年(1980)度の完成をもって拡張事業は終わりを迎えました。kawasaki watersupply100th大正10年~昭和14年水道事業のあゆみあゆみ年[第6拡]鷺沼配水所(配水池上部は鷺沼プール)第6期拡張事業~第8期拡張事業7昭和40年(1965)3月長沢浄水場を増強3月城山ダムが完成10月鷺沼配水池が完成昭和43年(1968)7月鷺沼プールを開設9月戸手浄水場廃止昭和44年(1969)5月神奈川県、横浜市、横須賀市及び川崎市により神奈川県内広域水道企業団を設立11月第2導水ずい道が完成昭和45年(1970)9月相模川水系水道事業者水質連絡協議会(相水協)が発足昭和46年(1971)3月潮見台浄水場が完成昭和49年(1974)4月企業団受水を開始(酒匂川水系から受水を開始)昭和52年(1977)9月黒川配水池が完成昭和53年(1978)7月三保ダムが完成昭和42年(1967)市の人口が90万人を超える昭和48年(1973)市の人口が100万人を超える昭和47年(1972)政令指定都市に移行(人口992,923人)第7期拡張事業S40~46第8期拡張事業S46~56第6期拡張事業S37~43酒匂川総合開発事業S44~54相模川総合開発事業S33~40

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