川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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68量の転用は困難な状況であった。⑶ 相模川河水統制事業と当初計画 この水源問題に解決の道をつけたのが、前節で記述した「相模川河水統制事業」であった。川崎市はこの事業により、相模川から分水を受けることになり、水源の問題は解決することとなった。 この計画については、昭和13年(1938)1月8日に神奈川県から詳細な説明があり、引き続き地元負担金等について協議が行われた後、同年1月13日の川崎市議会全員協議会で提案し、同協議会は、水道委員の調査、結論を待って同年1月18日に次のとおり協議決定を行った。《協議決定事項》相模川水利統制に伴う分水の件 本市として相模川の水利権を確保することは、絶対に必要にして、これに要する必要経費の負担はやむを得ない。設計その他技術的問題に関しては、当局において慎重調査のうえ実施せられたい。 このようにして、相模川河水統制事業に参画し相模川からの分水を受けることとなったが、当初の計画では、上水道ではなく工業用水道として川崎市に分水しようとするものであった。しかし、当時川崎市ではすでに上水道も飽和状態に達しようとしており、しかも、その大半が工場用水として使用されていたため、その用途について県と協議が行われた。その結果、上水道及び工業用水道の水源とする了解を得て、上水道・工業用水道ごとに拡張計画を立案し、導水路以下をそれぞれ単独事業として並行して行うこととなった。 この当初計画では、第1次事業として分水を受ける毎秒3.33㎥のうち、上水道を毎秒0.83㎥、工業用水道を毎秒2.50㎥とした。 上水道分は、本拡張事業として総額1,145万円をもって、また、工業用水道分は工業用水道拡張事業として総額2,358万6,750円、いずれも5か年継続事業とし施行することとした。これら事業施行に伴う起債並びに継続年期及び支出方法設定等の議案は、昭和15年(1940)8月19日の市議会で議決を得た。⑷ 当初計画の変更 このように議決は得たものの、日中戦争の激化とともに労力・資材不足、財政上の問題等、日増しに困難な事態となっていた。これに対して様々な検討を行った結果、上水道・工業用水道の拡張事業を統合し、上水道第4期拡張事業として行うこととした。 上水道と工業用水道の統合計画の理由は以下のとおりである。 [上水道と工業用水道統合計画の理由]1.創設工業用水道は、各工場において受水後、浄化あるいは加圧して使用されていた。大量の工業用水を給水しても、各工場で、更に処理を必要とするならば、むしろ、浄水として給水する方が経済的に有利である。2.戦時下の給水の安全を図るために、隣接している東京・横浜両市との配水管連絡を行い、万一に備えることは、3市とも要望するところであった。第1編上水道第3章水道の拡張時代の到来

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