川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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693.導水距離が長くなることと施設が重複するため、多量の資材・労力を要するばかりでなく、財政計画にも困難を生じていた。これにより、当初計画を一部変更し事業費を2,900万円に増額することとした。2 原設計の策定⑴ 原設計の概要①規模給水区域川崎市一円計画給水人口46万1,150人1人1日最大配水量826.4L1日最大配水量38万1,079㎥②計画給水人口と配水量 計画給水人口は、昭和30年(1955)における総人口を57万5,448人と推定し、その普及率を80.14%として算定し、46万1,150人とした。 計画配水量は、1人1日最大配水量を243.6Lとし、1日最大配水量を11万2,354㎥と推定した。この数字に工場用水の26万8,725㎥を加えて、合計38万1,079㎥とした。本計画では、38万1,079㎥から既設の1日最大配水量9万5,000㎥を差し引いた28万6,079㎥に対して28万8,000㎥を増強することとした。③工事計画 相模川河水統制事業の完了とともに分水を受ける水量毎秒5.55㎥のうち、第1次工事として毎秒3.33㎥の配水量増強を目途に、各施設を建設することとした。 この事業によって設置される津久井郡川尻村地内津久井分水池を起点として、そこから導水ずい道、暗きょにより高座郡大沢村・上溝町を経て麻溝村地内に設置する分水井に導水することとした。導水ずい道、暗きょ及び分水井は横浜市との共同施行とし、その他を単独施行とすることとした。 川崎市は、この分水井から暗きょにより、津久井郡大野村地内に建設する浄水場へ導水し、送水管によって川崎市久末地内及び横浜市鶴見区地内の2か所に設置する配水池を経て、市内へ配水することとした。⑵ 事業認可の経過昭和16年(1941)1月29日市議会可決2月4日事業認可申請7月3日事業認可(条件付) 川崎市の事業認可申請に対して厚生省、内務省は、この事業は日中戦争下において生産力の拡充に欠かせないとして、認可について非常に積極的であった。しかし、戦争が激化しつつあったことから、鉄材の節約と防空上の安全を期する等の理由で、以下の条件が付けられ、認可に至った。第8節第4期拡張事業

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