川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
111/810

73②資材の調達に奔走 終戦直後は、まだ生産工場が復興途上で、工事に必要なセメントは生産量が少なく、生産されたセメントもほとんど進駐軍に吸収され、国内公共用にはほとんど割り当てられなかったため、工事再開の目処は立たなかった。工事再開に必要なセメントを獲得するため、主務省及び進駐軍に対し繰り返し陳情する等の努力を重ねたが、容易に見通しがつかない状況が続いていた。 しかし、横浜市に駐屯していたアメリカ第8軍が、横浜市当局の努力により水道に対する理解を示すこととなった。軍施設に対する給水の確保と安全を図る必要もあり、川崎市と同様中止となっていた横浜市の相模川分水による拡張事業に深い関心を示し、総司令部担当官等が水源地を視察することとなった。川崎市はこれを好機とし、この視察に同行して、現地で川崎市の拡張事業についてもその必要性とずい道工事の窮状を説明し、工事再開への協力を嘆願した。 この結果、本事業に対する重要性について理解が得られ、セメントの入手について展望が開けたことから、戦争のため中止していた工事をようやく再開できることとなった。⑵ 設計変更の経過①第2回設計変更 戦後の経済界は、物資の欠乏とインフレーションの進行によって物価の高騰を重ね、拡張事業の再開に当たり既往の予算額では、工事の遂行が全く不可能であった。そこで、保留となっていた第1回設計変更認可申請書を改定することとし、将来の復興を考慮して計画変更するとともに、東京都への分水に必要な施設を含め、工事費を修正することとした。 この結果、工事費を4億5,000万円に増額し、工期も昭和25年(1950)度まで延長する計画を昭和22年(1947)8月19日に市議会へ提出した。 ア 計画の概要 (ア)規模給水区域川崎市一円計画給水人口25万1,796人1人1日最大配水量780.7L1日最大配水量19万6,573㎥ (イ)計画給水人口と配水量 計画給水人口は、昭和30年(1955)における総人口を37万6,948人と推定し、その普及率を66.8%として算定し、25万1,796人とした。 計画配水量は、1人1日最大配水量を245.24Lとし、1日最大配水量を6万1,783㎥と推定した。これに工場用水の13万4,790㎥を加えて、合計19万6,573㎥とした。第2回設計変更では、19万6,573㎥から既設の1日最大配水量9万5,000㎥を差し引いた10万1,573㎥を増強することとした。 イ 設計変更の認可の経過昭和22年(1947)8月29日市議会可決9月6日主務省に変更認可申請昭和23年(1948)6月3日認可(条件付)第8節第4期拡張事業

元のページ  ../index.html#111

このブックを見る