川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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74認可条件1.隧道工事を他の工事より先に施行すること。2.所要資材については出来得る限り援助を与えるが、市の責任においても調達に努力すること。②第3回設計変更 第2回の変更後、昭和23年(1948)4月に導水ずい道工事から再着手したが、戦後のインフレーションは止まらず、再着手後、すぐに既予算額では工事の遂行が不可能となった。一方、東京分水の問題も、東京都の希望により浄水分水から原水分水に変更する前提で、協定改定の協議が進められた。 このため物価高騰による工事費の修正と、東京都への原水分水により不要となる浄水以下の施設を削除するために第3回設計変更を行った。この変更で、事業費は17億1,600万円となり、工期は昭和27年(1952)度まで延長することとなった。 この第3回設計変更は、昭和24年(1949)3月に市議会の議決を得、同年10月に主務省へ認可を申請したが、東京都との分水協定改定の協議が整っていなかったため保留された。③第4回設計変更 第3回の設計変更により工事費を大幅に増額したが、その後も物価、労務費は高騰を続けたため、第4回設計変更を行うこととなり、事業費を23億3,000万円に増額し、昭和25年(1950)3月の市議会で議決を得た。④第5回設計変更(最終変更) 第4回設計変更後、戦後の資材不足が続く中、導水ずい道工事の進捗を図り、また、昭和25年(1950)4月に浄水場建設にも再着手した。しかし、同年6月に朝鮮戦争が勃発し、再び鋼材、セメント等の主要材が著しく値上がりしたため、第5回設計変更をせざるを得なくなった。 着手した上記工事以外にも余水吐工事、送水工事、配水管工事が未着工だったため、急激な物価上昇は、工事費の大幅な増額の原因となった。設計変更による一部追加工事を含め、事業費は34億3,600万円となり、当初予算に比べ118倍に達した。 第5回設計変更は、昭和30年(1955)1月22日の東京都との分水協定の改定締結を待って、同年9月に主務省へ申請し、翌年5月に認可された。また、この設計変更が本拡張事業の最終の変更で、原設計以来の設計変更の変遷は、以下のとおりである。 ア 計画の概要 (ア)規模給水区域川崎市一円計画給水人口35万2,600人1人1日最大配水量557L1日最大配水量19万6,600㎥ (イ)計画給水人口と配水量 計画給水人口は、昭和31年(1956)における総人口を45万6,500人と推定し、その普及率第1編上水道第3章水道の拡張時代の到来

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