川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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80 イ 配水本管 昭和28年(1953)10月 着工 昭和31年(1956)8月 完成鶴見川水管橋配水管軌道下横断工事(京浜急行電鉄)配水管布設工事5 工事の特徴⑴ 難工事となった導水ずい道工事①工事の再開 昭和20年(1945)6月、戦争により工事を中止するまでに掘削した導坑の延長は、下九沢分水池以降の11,176mであった。終戦後も工事再開の目処が立たず、約3年にわたりほぼ放置せざるを得なかったことから、支保工は腐り、落盤箇所も多く、掘削を進めるにも危険が伴う状況であった。このため、やむを得ず一部路線を変更したが、そのために掘削延長の半分近くを占める約5,000mにも及ぶ導坑を放棄することとなった。 昭和23年(1948)4月の工事再開に当たっては、下九沢分水池から長沢浄水場までの延長21,600mを3,000〜4,000mごとに6工区に分割し、それを更に第1から第36号に区分したが、途中の作業坑は、立坑・斜坑・横坑合わせて48か所にも及んだ。②湧水との闘い 導水ずい道の全路線にわたって、地盤が砂質沈泥等で軟弱であったこと、また多量の湧水により、水位が常にずい道断面の2〜3m上に来てしまう状態であったことから、工事は水との闘いに終始し、難航した。第1編上水道第3章水道の拡張時代の到来

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