川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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91 交渉は、第1次分水協定時と同様、建設省の仲介で進められたが、東京都が原水による永久分水を主張したこと等から難航した。 昭和27年(1952)には、原水1日23万㎥の供給、導水路建設費及び維持管理費の負担割合、分水地点の変更等については合意に至ったが、分水期間や納付金については意見が一致しなかった。昭和29年(1954)7月から再び建設省の仲介で交渉が進められたが進展しなかったため、ついに川崎市は、「戦後社会の変動や地方公営企業法の制定に伴う企業会計制度の実施等の新しい事情に伴うやむを得ない修正以外は認めず、基本的に現行協定によるものとする」という表明まで行う事態となった。 このように交渉は難航したが、建設省の熱心な仲介と、神奈川県、川崎市、東京都の努力により、昭和30年(1955)1月22日に協定改定の基本方針について合意に達し、4者連名での発表を行い、分水協定改定に関する覚書に調印した。改定の合意に至るまで実に7年の歳月を費やした。 協定改定の基本方針の概要は、以下の三つの項目があげられた。1.神奈川県河水統制事業の川崎市への割当水量に余剰ある期間、東京都に対し1日23万㎥の原水を分譲する。2.分譲水量は川崎市に必要が生じたときは、減少することが出来るものとする。3.分水協定の有効期間を20年とする。東京への分水協定改定に関する覚書調印式(建設大臣室)東京への分水協定成立 覚書の成立に引き続き、改定協定についての協議が進められ、昭和30年(1955)2月15日に協定書の締結が実現することとなった。協定書の内容を以下に掲げる。東京都への分水協定書 神奈川県及び川崎市は、東京都における水道の現況にかんがみ、神奈川県営相模川河水統制事業による川崎市への割当水量の一部を東京都に分譲するため、神奈川県、川崎市及び東京都は、左記のとおり協定する。 なお、東京都は、この協定による分水の趣旨と川崎市の需要水量の逐年増加の傾向とにかんがみ、その水道拡張事業の進捗を図る等用水の確保に努めるものとする。第9節東京都との分水協定

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