川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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96この事業は、改定された分水条件に適応するように、城南配水補給施設事業を変更したものである。 この計画は、川崎市の長沢浄水場の着水井から分水量として定められた常時1日23万㎥の原水を、隣接する東京都の新設浄水場に送り浄水処理するものである。浄水は、自然流下で山を下り、多摩川を水道・道路併用橋で横断して都内に送られる。 なお、東京都の浄水場は、川崎市がすでに確保していた長沢浄水場の隣接地に建設することになり、昭和32年(1957)3月4日に、川崎市余水吐設備使用に伴う「川崎市長沢浄水場余排水設備の共用に関する協定」を、また、同年7月22日に浄水場用地使用に伴う「川崎市水道用地使用貸借契約書」を締結した。 この分水は、東京都長沢浄水場工事の完成に伴い、昭和34年(1959)3月5日から開始された。当初の分水量は、1日5万㎥であったが、順次増量して同年7月から分水量のほぼ全量を分水するに至った。相模川系水道拡張事業工事区分一覧図(東京都水道史)第1編上水道第3章水道の拡張時代の到来

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