川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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981人1日最大配水量592L1日最大配水量29万5,000㎥⑵ 計画給水人口と配水量 計画給水人口は、昭和41年(1966)の推定総人口59万7,559人からその普及率83.4%として、49万8,364人とした。 計画配水量は、一般用水や工場用水を推定して1日平均配水量を24万1,362㎥とし、これに過去の実績、類似都市の状況等を勘案して1日最大配水量を29万5,000㎥と算定した。 本計画では、この1日最大配水量から既施設能力1日最大19万5,000㎥を差し引いた1日10万㎥を増強することとした。⑶ 工事計画 水源は、休止中であった生田浄水場と戸手浄水場の多摩川水系伏流水の取水再開による1日5万㎥及び既設の菅地区のさく井取水の増量による1日5万㎥の合計10万㎥とした。 従来、菅地区のさく井は、5か所から1日5万㎥を取水していた。しかし、揚水試験の結果、更に1日1井当たり1万㎥の増量が期待できるため、予備井1井を築造するとともに、既設さく井の予備ポンプを全運転することによって1日5万㎥を増量することとした。 また、第4期拡張事業で、相模川水系5万㎥は長沢浄水場での沈でん処理後、生田浄水場へ導水し、同浄水場の急速ろ過池で処理することとしていたが、これを本拡張事業では、長沢浄水場の新設急速ろ過池で処理することとした。 これにより予備となった導水管は、本拡張事業によるさく井取水増量分を生田浄水場から長沢浄水場へ導水するために使用することとし、導水したさく井取水増量分は、長沢浄水場の新設急速ろ過池で処理することとした。 この相模川水系5万㎥及びさく井増量分5万㎥の配水方法は、第4期拡張事業による末吉配水池を経て配水する方法とは別系統とし、新たに、長沢浄水場に配水池を築造して、ここから自然流下で市内へ配水することとした。3 事業認可の経過昭和32年(1957)3月27日市議会可決3月28日事業認可申請5月2日事業認可4 設計変更 工事は、昭和32年(1957)4月1日から準備を開始し、同年5月に事業認可を得て、起債許可額の決定を待って同年11月から本格的に着手した。 当時、川崎市の需要水量は年々増加の傾向を示し、本拡張事業に着手した昭和32年(1957)夏季には早くも21万1,495㎥に達し、第4期拡張事業の計画施設能力を超える状態であった。 このため、まずさく井系取水量の増量を図り、これに伴う導水能力増強のため昭和32年(1957)11月に導水管布設工事に着手し、同年12月に臨海部で特に急を要していた千鳥町埋立地内の第1編上水道第3章水道の拡張時代の到来

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