川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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106第11節 相模川総合開発事業1 背景 相模川河水統制事業によって建設された相模貯水池であったが、数年で当初計画の分水量を取水することが困難となった。このため県では昭和27年(1952)に貯水池のかさ上げ(2.0m)及び道志川の流路変更をして、渇水期の分水量の確保と発電力の増強を図った。しかし、県内の人口の急増、生活様式の近代化、特に京浜工業地帯における諸産業の発展は、更なる水需要の増大をもたらしていたため、抜本的な対策が必要とされていた。 そこで県では、昭和27年(1952)から29年(1954)にかけて相模川開発基礎調査を実施し、相模川の流量や流出土砂量等の測定を行った。2 事業の概要 調査結果に基づき、県は昭和30年(1955)11月に城山ダムの建設を中心とする相模川総合開発計画を策定した。この計画は更に大きくなり、昭和33年(1958)度から相模川第2次河水統制事業として本格的調査が行われることとなった。 この事業の中心は城山ダム及び城山貯水池の築造であり、その概要は次のとおりであった。 ダムの高さ75〜78m 常時満水位 EL121〜124m ダムの長さ260〜280m(止水壁を除く) 利用水深26〜29m 総貯水量51,600,000〜59,000,000㎥ ダムの型式重力式コンクリート造り 有効貯水量44,000,000〜51,400,000㎥ 堤体積300,000〜350,000㎥(附属工作物を含む)(県企業庁史) しかし、当時は、横浜市、横須賀市が共同で相模川下流の馬入川から取水する計画を策定中であり、上流取水を主張する県と経済的に有利な下流取水を主張する横浜市、横須賀市で意見が対立していた。昭和34年(1959)9月から、県、横浜市、横須賀市の3者に川崎市も加わり、両計画の調整について積極的な協議が行われ、その後、横浜市の馬入川取水計画の利点を県の城山ダム計画に大幅に取り入れることで、昭和35年(1960)2月に当事者間の意見の一致をみて、相模川総合開発事業の建設計画の大綱が確定した。 本事業の施行に当たっては、事業の円滑な進捗のため昭和35年(1960)9月に県及び関係3市間において相模川総合開発事業促進協議会が設置され、また、同年12月1日、4者間で次のとおり共同施設の建設に対する覚書が調印されるに至った。 第1編上水道第3章水道の拡張時代の到来

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