川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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130③炊事婦 ・・(前略)・・最近では、付近の子供が、宿舎に遊びにくるようになった。以前の宿舎なら想像もしなかったことだが、この宿舎のゆえかどうかは別としても、最初は不思議な気がして眺めていた。 この宿舎にくるまでは、宿舎生活の子は“飯場の子”と呼ばれて、近所の子供はおろか、親達にまで疎遠され、遊びに行っても泣いて帰るのが普通で、いつの間にか、外へ出ない内気な子供になってしまっていた・・(後略)・・※「すいろ」は、川崎市水道第7期拡張導水路築造工事・災害防止協議会から発行された。 創刊:昭和42年1月 第2集:昭和42年5月 完結編:昭和43年3月潮見台浄水場建設現場で発見された縄文中期の遺跡 潮見台浄水場の建設用地の一角から縄文式時代中期(今から約4,000~5,000年前)の住居跡が発見された。この潮見台は、浄水場建設の始まる前から蔵骨器等縄文式土器等が発見されていたことから潮見台遺跡として知られていた。 浄水場の建設工事が始まり整地工事が進むにつれて、古代人の住居跡が発見され遺構の発掘も進んだ。場所は、浄水場の中心から見て南東の方向にあたる。住居は、10数軒が凹字形に配列されており、中央は共通の広場として使用されていたらしい。住居跡は竪穴式で直径5~6mの円形、周囲に雨水の排水のための溝が掘られており、柱の跡が4か所あり、中央に炉が掘られていた。 住居跡からは、1個ずつ底のない甕が発見された。えい児が死亡したとき、この中に入れて住居内に埋め、母親が出入りにこれをまたぐことによって、再び胎児が宿ると信じられていたという。また確認されている住居跡の一つは、縄文式時代早期(中期より更に2,000年くらい前)であることが分かった。潮見台という土地が古代から飲み水等、生活用水に恵まれた生活しやすい土地だったと考えられる。潮見台遺跡(北より)第6号住居跡コラム ②第1編上水道第3章水道の拡張時代の到来

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