川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
204/810

166第16節 相模川水系建設事業1 背景 昭和44年(1969)に開始された企業団による酒匂川総合開発事業は、昭和54年(1979)3月に完了し、酒匂川を水源とする日量145万4,800㎥の供給体制が整った。 これにより、神奈川県内においては昭和60年代初頭までの水需要に対処することが可能となったが、その後も県内の水需要は人口の増加等に伴って引き続き増加するものと予想された。このため、神奈川県、横浜市、川崎市、横須賀市及び企業団の5事業者は、昭和50年(1975)11月に建設省(現:国土交通省)が相模川水系中津川に建設計画を進めた多目的ダムに水源を求め、新規に開発される日量130万㎥のための新たな水道施設の建設を実施することとした。 この新しい多目的ダムには、相模ダム及び城山ダムを有機的に繋ぐ施設として道志導水路と津久井導水路が築造されることとなり、3ダムを一体的に運用することにより貯水池を有効かつ合理的に機能させることが出来ることから川崎市にとっても有益であると判断し、少量ではあるがダムの使用権を確保するために本ダム計画に参画した。2 事業の概要 建設省が建設する多目的ダムは宮ヶ瀬ダムと命名され、その目的は、洪水調節、上水道及び発電である。水道の水源として新たに日量130万㎥が開発され、その上水道事業に関しては、神奈川県、横浜市、川崎市、横須賀市の4事業体で構成する企業団が当たることとなった。⑴ 中津川開発と宮ヶ瀬ダム建設計画 神奈川県における都市用水及び農業用水等の水源は、古くから相模川水系に依存してきた。この相模川水系では、昭和13年(1938)からの相模川河水統制事業や昭和30年(1955)からの相模川総合開発事業等の大規模な水源開発や取水事業が実施されてきた。 中津川は、相模川水系に属する河川で、宮ヶ瀬ダム建設計画以前にも、相模川水源開発の一環として中津川開発が立案された。昭和30年代後半以降に「中津川取水路工事」や昭和40年代前半に「中津川総合開発計画」が計画されたが、計画の策定や調査が行われた後に中止もしくは一時中止となった。 その後、建設省は昭和44年(1969)4月の河川法改正を機に相模川水系が一級河川に指定されたことに伴い、相模川水系の総合開発の一環として中津川上流に多目的ダムとして「宮ヶ瀬ダム」を建設することを計画し、同年9月、神奈川県に対して調査の申し入れを行った。そして、昭和44年(1969)度〜48年(1973)度の予備調査、実施計画調査を経て、道志川の流路変更と相模ダム・城山ダムとの総合運用を考慮した建設計画を立案することになった。 ダムサイトについては、中津川本川と早戸川の合流点から石小屋堰堤に至る渓谷部分の3か所を候補地に選定し、調査と検討を行った結果、昭和53年(1978)5月に石小屋地点をダムサイトとし、型式を重力式コンクリートダムとすることに決定した。第1編上水道第3章水道の拡張時代の到来

元のページ  ../index.html#204

このブックを見る