川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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178第1節 第1導水ずい道改良事業1 背景⑴ 第1導水ずい道の概要 水道創設以来、川崎市の水源は多摩川と地下水であった。それに続く水源の開発は、神奈川県が事業主体として行った相模川河水統制事業が最初である。この相模川河水統制事業で開発された相模川の原水を川崎市まで導水するために築造されたのが第1導水ずい道である。 第1導水ずい道は、相模原市内に築造された「下九沢分水池」から長沢浄水場までの延長21,636mを自然流下で導水する水路で、第4期拡張事業の一環として昭和17年(1942)に工事着手した。途中、太平洋戦争の激化により工事を一時中断し、戦後の昭和23年(1948)6月に工事を再開して、昭和27年(1952)3月に完成した。日量60万㎥(改良前は72万㎥)の原水を導水している基幹施設である。⑵ 第1導水ずい道の管理における第2導水ずい道の役割 第1導水ずい道は、バックアップ体制がなく昭和27年(1952)の通水以来、内部の状況を確認することができなかった。しかし、昭和43年(1968)に第7期拡張事業の一環として築造した、相模川総合開発事業で開発された相模川の原水を津久井分水池から潮見台浄水場まで導水する第2導水ずい道は、将来の水需要の増大を見込んでおり、通水能力に余裕があったため(延長24,154m、内径3.5mの円形断面)、第1導水ずい道による導水量の全量を振り替えることができ、バックアップとしての役割を果たすことができた。この第2導水ずい道の完成により昭和46年(1971)、第1導水ずい道通水後初めて内面調査を実施することができた。⑶ 第1導水ずい道の内面調査 第1導水ずい道内面状況は、コンクリート打継目や縦断方向に発生したクラック、段差の発生等、覆工コンクリートの老朽化が目立った。この結果を受け、劣化状況を改善すべくモルタル等で内面補修を行っていたが、昭和58年(1983)になり、道路拡幅に伴う水路橋架替工事による1年間の断水期間を利用して、①ずい道周辺部の土壌調査、②坑内変状調査、③ずい道覆工コンクリートの強度調査、④調査に基づいた対策工の検討の各項目について、伏せ越しを含めた全路線の調査を委託発注した。 この調査の結果、ずい道への偏土圧の発生、被圧地下水の存在、追跡測定の結果からクラックには進行性があること等が報告された。また、対策工については、水理上や止水の問題、地山条件の不適合等から「現状のトンネルは各変状の度合いに応じてそれぞれ安定していると見られるが、今後の安定性の評価はできず全断面の改築が経済的と言える」との報告内容であった。そのため本格的な改良工事の必要性が局内ずい道保全委員会で検討され、①地下水流入による原水汚染の懸念、②原水流出によるずい道周辺地盤への影響、③覆工コンクリート劣化による耐震性の減少等により、維持管理上の危険性が高まっていることから、昭和60年(1985)10月に水質の保全と耐震性の向上を目的とする改良工事の実施が決定された。第1編上水道第4章水道の拡張から維持管理への転換

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