川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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268第1節 水質試験の変遷1 創設期の水質管理 創設水道が通水を開始したのは、大正10年(1921)7月1日で、水質試験室は創設当初から戸手浄水場に置かれていた。事務所の玄関を入った左側にあり、事務室とは廊下をはさんでいたとされている。しかし、水質試験の内容や器具の種類、従事職員数等については記録がないのでどのような試験をしていたのか定かではない。当時の川崎町水道係の事務分掌に「水質検査に関する事項」とあり、更に創設事業費決算には水質「試験費」がある。当時の多摩川表流水の水質は「濾過スレバ飲用ニ適スル」ものであったので、水質試験室は、最小限の機能を果たしていたと思われる。 創設事業の後、第1期拡張事業の水源として多摩川の伏流水を計画していたが、これに先立ち神奈川県衛生試験場に伏流水等の水質試験を依頼した。その結果、飲用に適する旨の判定が出ており、細菌数についても大正5年(1916)1月と大正14年(1925)11月の比較があるが、いずれも「病原性菌ヲ認メス」等と記されている。細菌数比較採取年月日大正5年1月27日大正5年1月27日大正14年11月10日大正14年11月10日採水場所下沼部多摩川堤外地下沼部多摩川堤外地下沼部多摩川堤外地水道宮内水源地採水種類伏流地下水多摩川表面水伏流地下水多摩川表面水気温10℃8℃23℃18℃水温12℃11℃19℃17℃1cc中細菌数7個86個32個320個菌種小桿状菌小桿状菌 菌球状小桿菌小桿菌球菌枯草菌属備考病原性ヲ認メス病原性ヲ認メス病原性菌ヲ認メス病原性菌ヲ認メス2 戦前の水質試験⑴ 赤痢事件 昭和10年(1935)1月に赤痢が爆発的にまん延し、原因が上水道と誤報されたため、大問題となった。同年正月以来、赤痢が急激に発生し、患者数は、1月11日までに454名に達し、更に、同18日には800名を数え、死亡者も46名を数えるという状態であった。加えて上水道が原因ではないかと疑惑を持たれ、新聞によって報道されたため、一層赤痢の恐怖を深刻にした。県衛生部はこれを重視し、係官を派遣して水質検査を行った。その結果、上水道が原因でないことが確認されたが、ともかく上水道に疑惑の目が向けられたことによって、信頼を損ねることとなった。⑵ 生田浄水場に水質試験室等を設置 生田浄水場の新設を含む第3期拡張事業は、昭和9年(1934)2月から着工し、水質試験室は、第1編上水道第6章安全で良質な水道へ水質の探求

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