川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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279短時間に低下し、河川水と同様な様子を示した。 長沢浄水場において特筆される高濁度は、昭和41年(1966)9月の台風26号による6,200度、昭和43年(1968)8月の台風7号による4,600度、昭和54年(1979)10月の台風20号による3,000度、昭和57年(1982)8月の台風10号による7,600度であった。この高濁度を境に、濁度上昇は低下傾向にあり1,000度を超える濁度は、昭和58年(1983)8月の台風5号及び6号による1,200度、平成3年(1991)8月の台風12号による5,200度、平成23年(2011)9月の台風12号による1,100度、令和元年(2019)10月の台風19号による1,100度であった。低下の要因は相模湖上流域の開発の減少、河川の護岸整備があげられた。 潮見台浄水場は、淵野辺接合井で相模川水系と酒匂川水系が混合されたものが原水で、取水開始以来1,000度を超えた特筆される高濁度は、昭和54年(1979)10月の台風20号による1,000度が初めてであり、昭和57年(1982)8月の台風10号による3,000度、平成3年(1991)8月の台風12号による2,400度であった。その後は、1,000度を超えることはない。⑵ 高濁度の処理方法 凝集剤は、当初固形硫酸バンドを溶解して使用していたが、高濁度時の濁度除去が悪いため種々の調査を重ねた結果、凝集補助剤としてアルギン酸ソーダに優れた効果があることを見出し、昭和33年(1958)に我が国で最初に実用化した。その後、固形硫酸バンドが液体硫酸バンドに代わり、自動注入が容易となり、省力化された。 昭和42年(1967)には、より凝集性に優れたPAC(ポリ塩化アルミニウム)を日本で最初に導入し、低濁度時の処理は硫酸バンド、高濁度時の処理はPACに切り替える処理システムとした。 昭和50年代に入り、相模湖でかび臭、アオコの発生等水質問題が起き浄水処理が多様化したため、より安全な浄水水質を確保する必要から昭和56年(1981)4月からPACを常時使用している。 昭和57年(1982)の台風10号による高濁度は、過去最高の濁りとなったが、薬品注入率PAC260ppm、苛性ソーダ50ppm、塩素15ppm、活性炭10ppmで良好に処理された。 現在高濁度時の対応として、臭気、pH値、総アルカリ度、マンガン等の水質変化が短時間に生じるので、PAC注入率を上げるだけでなく水質変化に対応するための浄水用薬品(粉末活性炭、苛性ソーダ)を状況に応じて注入している。2 多摩川伏流水の水質⑴ 経済成長に伴う水質悪化 第1期拡張事業により大正14年(1925)から取水を開始した宮内伏流水(宮内水源)及び第3期拡張事業により昭和14年(1939)に取水を開始した稲田伏流水(稲田水源)の水質は、極めて良好であり、ろ過処理のみで配水可能な状況であった。 ところが、戦後10余年を過ぎる頃からの高度経済成長に伴う、公害汚染問題が顕在化するとともに、多摩川表流水の水質悪化が急速に進行し、その影響がこれらの伏流水に及んだ。 まず、昭和30年代半ば頃から宮内水源の水質が悪化し、昭和36年(1961)6月25日に上第2節水質問題

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