川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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280水としての取水を停止した。 次いで稲田水源は、昭和38年(1963)12月に合成洗剤に含まれるABS(界面活性剤)の泡立ちが目立つようになり、アンモンニア性窒素や過マンガン酸カリウム消費量が増加する等、上水水源としての適応性に欠けるようになったため、翌年5月16日をもって上水としての取水を停止した。 また、多摩川にかん養されている生田浄水場のさく井群も昭和40年(1965)頃からABSが増加しはじめ、昭和42年(1967)には緩速ろ過池周辺の開きょに泡立ち現象が見られるようになった。⑵ 環境規制、下水道整備による水質改善 昭和45年(1970)に公共用水域の水質保全を図るため水質汚濁防止法が制定され、特定施設を設置している事業場等から公共用水域に排出される水に基準項目及び基準値が設定され、水質測定が適用された(昭和51年(1976)に浄水場の沈でん施設、ろ過施設等も特定施設に指定された)。 更に、多摩川流域の下水道普及率が上がり、各下水処理場施設が処理水のアンモニア性窒素を減少させたことが、水質改善に貢献した。一方、下水処理場の酸化処理法で排水中の硝酸性窒素が増加したことが調査結果から明らかになっている。 平成13年(2001)3月には水域類型指定の見直しが行われ、多摩川中流の拝島橋から調布堰が河川C類型、調布堰から下流が河川D類型に指定されていたが、多摩川中流の拝島橋から下流が河川B類型に指定変更された。多摩川では近年、ほぼすべての環境基準点で環境基準値を満足しており、現在は清流魚の鮎が年間数百万尾遡上するまで回復している。3 富栄養化の進む相模湖⑴ アオコによる問題 昭和42年(1967)の春、相模湖で初めて発生したアオコ(藍藻類の異常増殖)は、翌年に湖面全体に拡がり「水の華」を出現させた。更に昭和48年(1973)春には、珪藻類によるろ過閉塞を起こし、夏には藍藻類に起因すると思われるかび臭を初めて検出し、相模湖の富栄養化が決定的となった。 昭和52年(1977)夏には強いかび臭障害が発生し、この処理のため初めて粉末活性炭を3日間注入した。昭和54年(1979)8月にはアオコが発生し、湖の水位低下とともに長沢、潮見台両浄水場において、浄水処理のみならず排水処理にも影響が及びかつて経験したことのない障害が生じた。このため、約1か月間にわたり取水を制限する異常事態となった。 このアオコは、昭和42年(1967)には、湖表面1mL当たりの細胞数は最大2,200だったものが、昭和58年(1983)には実に200万にものぼった。アオコ(ミクロキスチス)第1編上水道第6章安全で良質な水道へ水質の探求

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