川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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342能と確認された。そこで、この地域に15か所のさく井を築造し、これを水源として1日5万4,000㎥の取水を目途とした工事計画が立てられた。 設計は昭和11年(1936)7月に完了し、総工事費は90万円であった。また、工事の実施と完成後の経営や維持管理等については、昭和9年(1934)に発足していた「新潟工業用水組合」の例にならって「川崎工業用水組合」を組織し、川崎市長を組合長として、その下に理事5名、監事2名を置いてあたることとした。①計画内容水源さく井15か所(川崎市中原町地内及び神奈川県橘樹郡日吉村地内)各井口径350㎜、標準深度地下60m揚水量深井戸タービンポンプ:1井当たり1日3,600㎥導水管口径250㎜〜350㎜鋼管、口径700㎜ヒューム管集水池1池、長さ20m、幅16m、有効水深3.6m 鉄筋コンクリート造り容量1,141㎥(1日5万4,000㎥として約30分間分)導水ポンプ室間口6.06m、奥行14.3m、鉄筋コンクリート造り導水ポンプ2台、40馬力口径14インチ(356㎜)着水井口径5.0m、深さ4.85m、円形、鉄筋コンクリート造り貯水池1池、長さ65m、幅15m、長方形、鉄筋コンクリート造り容量7,940㎥(1日5万4,000㎥)、貯水能力3時間30分送水ポンプ室間口9.1m、奥行22.4m、鉄筋コンクリート造り送水ポンプ2台、165馬力口径18インチ(458㎜)送水管口径800㎜及び1,000㎜ヒューム管本管延長5,700m(送水ポンプ室〜市内渡田)、支管延長780m(送水ポンプ室〜市内大島町)第2節 我が国初の公営工業用水道の創設1 背景⑴ 民営案から市営へ 民間3社(昭和肥料(現:昭和電工)、日本鋼管、東京湾埋立)による民営工業用水道の建設構想は、具体的な施設計画を実施する段階まで進んでいた。 しかし、この民営工業用水道の建設構想は、以下の三つの理由から市営工業用水道の建設へと方針が変更となった。①工場の誘致を市是とする市政の建前からすれば、公共事業として市で経営するのが至当とする議会の強い要請と、市行政の決意があった。②異なる性格を持つ私企業で構成する組合方式では、将来の発展が明らかな状況の下で、利害の一致がみられるかどうか、前途に難点が考えられた。③将来の水利権の取得、道路等公共用地の占用土地買収に当たっては、民営に比べて公営に便第2編工業用水道第1章全国初の公営工業用水道

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