川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
391/810

353 日中戦争を契機として、各会社工場は戦時生産力の増強を目的に続々と拡張や新設を進め、それに伴って工業用水の需要も増加していったことから、川崎市はこれに対応するため、第1期拡張事業では1日8万1,000㎥の給水を行うものとし、創設時と合わせて、1日16万2,000㎥の施設能力を保有するものとした。 変更後の工事期間は、昭和16年(1941)9月から昭和19年(1944)12月となった。4 事業認可の経過昭和14年(1939)11月9日 市議会可決  15年(1940)2月16日 起債許可申請        8月27日 起債許可5 工事施行の経過 当初、工事は昭和14年(1939)度から昭和15年(1940)度に至る2か年の継続事業を予定していた。しかし、昭和16年(1941)9月に配水管増設工事から着手したものの、同年12月に勃発した太平洋戦争により、労力、資材が入手困難となった。軍需生産増強のため会社工場からは工事促進の強い要望もあり、鋭意工事に臨んだが、昭和20年(1945)に入ると京浜工業地帯への空襲が一層激しさを増し、工事は行き詰まり状態となった。同年8月に終戦を迎えたが、各会社工場の前途は全く見通しがつかず、工業用水の需要量も予想しがたい状況となった。そこで工事を一時中止し、請負業者には出来高に応じて補償金を支払うこととした。主な工事の出来高は、配水管布設工事40%(3,690m)、貯水池改良工事に至ってはわずか5%に過ぎなかった。6 事業費及び財源 当初、工事予算額は31万円であり、財源は起債28万円と自己資金3万円とした。 その後、計画の変更により、総事業費280万円をもって施行することとし、その財源は、受益会社からの寄付金200万円、起債28万円、一般歳入52万円とした。 しかし、太平洋戦争の勃発に伴う物価や人件費の高騰で予算内での工事が困難となり、昭和19年(1944)3月に市議会の議決を得て事業費を341万8,000円に増額した。増額分61万8,000円の財源は、受益会社からの寄付金36万円、起債14万円、一般歳入11万8,000円とした。財源及び事業費の内訳は次のとおりである。空襲による昭和電工硝酸工場の被害第1節第1期拡張事業

元のページ  ../index.html#391

このブックを見る