川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
393/810

355第2節 相模川河水統制事業による拡張事業1 背景 昭和12年(1937)11月から施行された京浜運河の開削及び京浜工業地帯造成事業が完了すると、146万4,000坪の臨海工業地域が出現し、工業用水の需要は更に増大するものと推測された。 このような状況から、工業生産に不可欠な工業用水対策に万全を期すことは、工都川崎にとって極めて重要な施策であり、また、戦時下における生産力拡充の国策遂行に順応するものであった。 そこで川崎市が工業用水道の水源を求めて調査していたところ、神奈川県営相模川河水統制事業計画が実施の運びとなり、同事業によって築造される津久井分水池で、川崎市の工業用水として毎秒5.55㎥の分水を受けることとなった。そこで、これを水源とする工業用水拡張計画を立てるため、昭和13年(1938)度から調査費を計上し、導水路線等の調査を行い、工事計画の立案に取り掛かった。とりあえず第1次の事業として毎秒3.33㎥を取水し、このうち毎秒2.50㎥を工業用水に充て、0.83㎥を上水道分とした。2 計画の概要⑴ 規模給水対象  31会社工場1日給水量 21万6,000㎥(毎秒2.5㎥)⑵ 工事計画 相模川を水源とし、相模川河水統制事業によって築造される津久井分水池から1万410m離れた高座郡麻溝村に設ける沈でん池を経て、延長1万7,500mの導水管により横浜市港北区池辺町の高台に設ける調圧水槽に送る。ここで上水道用水を分水し、工業用水はその直下に設ける第1貯水池に落下貯留し、更に本貯水池から3,560m離れた第2貯水池に送り、ここから配水管により供給する。なお、導水、配水ともすべて自然流下方式とした。また、工事期間は昭和15年(1940)度から昭和19年(1944)度まで5か年とし、工事予算額は2,358万6,750円とした。3 計画の中止 本拡張事業は、昭和15年(1940)8月に市議会の議決を得た。しかし、上水道と工業用水道を統合し、上水道第4期拡張事業として施行することとなったため、翌年1月に市議会の議決を得て本拡張事業を中止した。工業用水道と上水道の統合計画の理由は次のとおりである。①各工場は多量の用水を必要としていたため、その不足分は上水道用水を充てていた。また、工業用水道水として供給している1日5万5,000㎥は、各工場で受水後に加工使用していた。したがって、工業用水道水を浄水として給水することは経済上得策と考えられた。②上水道水とは水質を異にするものであるが、当時は戦時下にあり、一朝有事に備えるため、隣接する東京、横浜両市と配水管を連絡して工業用水道水の水質を上水道水と同じにするこ第2節相模川河水統制事業による拡張事業

元のページ  ../index.html#393

このブックを見る