川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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356ととした。③日中戦争下にあって、資材の確保がますます困難となっており、水質の異なる2本の配水管を布設することは不経済であり、将来の維持管理上も不便であった。第3節 宮内取水設備工事1 背景 太平洋戦争の空襲で、川崎市は市街地をはじめ主要な工場地帯に甚大な被害を受けた。しかし、戦後の復興は著しく、工業用水の需要も次第に増加した。 当時、川崎市は、工業用水道として創設時の施設能力である1日8万1,000㎥を保有していた。しかし、さく井の老朽化が進み、更にかんがい期に二ヶ領用水の余剰水が皆無に等しい状態となるため、水源が不安定な状況にあった。そこで、終戦後における各会社工場の需要増に対応するため次期拡張計画を立てていたが、とりあえず第2期拡張工事完成までの暫定措置として、給水対象8社に対して1日1万5,000㎥の給水を行う計画を立てた。2 計画の概要⑴ 規模給水対象  8社1日給水量 1万5,000㎥(次期拡張事業までの暫定措置)⑵ 工事計画 水源は、東京横浜電鉄所有の砂利採取跡の池(川崎市中原下河原耕地929番地)を借り、1日1万5,000㎥を取水することとした。これに伴いポンプ室を設け、上水道宮内水源からの導水管を利用して、平間水源管理所へ送水することとした。3 事業認可の経過昭和23年(1948)7月  市議会可決4 工事施行の経過昭和23年(1948)9月3日 着工昭和24年(1949)3月10日 完成5 施設の概要ポンプ室木造平屋建て 17坪(56.1㎡)取水ポンプ1台 170馬力取水ポンプ井1井、鉄筋コンクリート造り、口径3m、深さ5m第2編工業用水道第2章高度成長期を支える工業用水道の拡張

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