川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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358第4節 第2期拡張事業1 背景 太平洋戦争が終わり、諸産業が順調に復興してきた昭和25年(1950)6月25日に朝鮮戦争が勃発した。川崎市内の各工場はその特需景気で活況を呈し、相次いで生産設備が拡張された。工業用水の需要も増大し、昭和26年(1951)には日本鋼管ほか17社から新規給水の申し込みがあり、それに対応するため拡張事業を実施する必要が生じた。 本事業では、神奈川県営相模川河水統制事業による新たな水源を求めることとなったが、上水道と統合し、上水道第4期拡張事業の一環として施行することとなった。終戦により一時中止していた上水道第4期拡張事業は、昭和23年(1948)に再開し、昭和26年(1951)度に下九沢分水池から長沢浄水場までの導水ずい道工事の完成が見込まれていた。そこで、相模湖から導水する原水を長沢浄水場で沈でん処理(ただし、濁度が10度を超える場合)したもののうち、1日10万㎥を工業用水として分水を受け、既施設と合わせて給水能力を1日18万1,000㎥とする計画を立てた。2 計画の概要⑴ 規模給水対象  32社1日給水量 10万㎥⑵ 工事計画①取水方法 長沢浄水場(上水道第4期拡張事業で建設)の沈でん池で沈でん処理したものを、原水としていったん分水井に取り入れた後、送水することとした。その際、沈でん池の1日処理能力25万㎥を、上水道拡張用(1日10万㎥)、既設生田浄水場への送水用(1日5万㎥)、工業用水道拡張用(1日10万㎥)に分割することとした。②送水管 川崎市内西南部及び横浜市港北区地帯の丘陵に、上水道送水管と並行して口径900㎜管を布設する。管路は横浜市港北区矢上町において左折し、矢上川の川底を横断、市内北加瀬、鹿島田地区を経て、平間水源管理所に至る延長1万5,420mを布設することとした。③調圧水槽 既設配水管はヒューム管であるため、耐圧の関係上、平間水源管理所配水ポンプ場において、水頭22mを限度として圧送している。送水管の全水頭は75.9mであり、これを21.5mまで減圧しなければならないことから、同管理所構内に調圧水槽(円筒型、鉄筋コンクリート造り、口径9m、高さ22m、最高水位25.3m)を設けることとした。④配水管 配水管(口径600㎜ヒューム管、延長6,700m)は、終戦により中止されていた第1期拡張事業の残工事として布設する。   第2編工業用水道第2章高度成長期を支える工業用水道の拡張

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