川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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368第7節 応急水源増強工事1 背景 昭和32年(1957)に完成した川崎市営千鳥町地区埋立地には日本石油化学ほか9社が工場を建設中であったため、これらの工場群への給水を目的として、計画を立てることとなった。 当初、これらの工場は第3期拡張事業の給水対象とする予定であったが、前節で述べたとおり、第3期拡張事業については第2期拡張事業が完了して間もないとの理由により、主務省の承認が得られなかった。このため、第2次暫定拡張事業で産業道路から千鳥町地区への配水管布設を行ったが、各工場が昭和34年(1959)4月の操業を目標としていたことから、第3期拡張事業の完了まではとても待つことができないと川崎市に対して早期給水を陳情してくる事態となった。 そこで川崎市は、既設水源の調査を行ったところ、各社が契約を希望する水量を合計した1万5,000㎥を取水する見通しがついたため本工事を施行した。2 計画の概要⑴ 規模給水対象  10社1日給水量 1万5,000㎥⑵ 工事計画 水源は、既設さく井23か所の能力増強により1日8,000㎥、長沢浄水場余水池から1日7,000㎥、計1日1万5,000㎥とした。23か所のさく井のうち、戦後、連合国軍に接収されていた旧5号さく井が接収解除になったため、これを復旧し、1日3,000㎥を取水することとした。1・3・8号の各さく井は、施設の老朽化が著しかったため、これら各井のポンプを取り替え、能力を増強して1日5,000㎥を増量取水することとした。また、長沢浄水場余水池には、揚水ポンプを設置して1日7,000㎥を取水することとした。 旧5号さく井の復旧により、連絡管を布設して既設管に連絡した。また、第1集水槽から平間水源管理所間に送水管を布設することとした。 配水方法は、既設配水管を使用することとし、末端における水圧を保持するために、市内大島町に加圧ポンプ場を築造し、ポンプ2台を設置することとした。3 事業認可の経過と変更昭和33年(1958)9月   市議会可決昭和34年(1959)1月22日 事業変更届出書提出        8月12日 事業変更承認 昭和33年(1958)4月25日に施行された工業用水道事業法を以下に記した。第2編工業用水道第2章高度成長期を支える工業用水道の拡張

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