川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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4第1節 川崎市の地勢 川崎市は、神奈川県の北東部に位置し、北は多摩川の下流部を境として東京都に接し、南は横浜市と隣接している。西には、東京都南多摩地方の丘陵地帯をひかえ、東端は東京湾に面し、市域は多摩川に沿って東西に細長く帯状に広がっている。 東西の最長距離は、約33km、南北の最短距離は、わずかに1㎞余りである。西部一帯は緩やかな丘陵地で、ここから東方の海岸地帯に向かって徐々に下降している。海岸地帯の大部分は、多摩川の沖積作用によって形成された、いわゆるデルタ地帯である。長期にわたる山地からの岩石や土砂の堆積作用によって、海岸線は次第に後退し、平地が構成された。 川崎市の先史時代については、西北部の丘陵地帯から発見された遺跡や古墳によって知ることが出来る。特に子母口貝塚は、武蔵野台地に見られる最も古い貝塚として知られ、この時代、武蔵野の奥地までが海であったことを物語っている。また、加瀬丘陵北麓の白山古墳をはじめ、丘陵の裾や平地帯に発見されている多くの古墳から、多摩川の沖積がもたらした肥沃な土地に早くから集落がつくられ、農業が盛んに営まれていたことを知ることが出来る。 川崎市に沿って流れる多摩川は、全長138㎞、流域面積1,240㎢の一級河川である。その源流は、遠く山梨県甲州市にある笠取山の「水みず干ひ」という岩間の一滴に始まる。最上流部は、一の瀬川と呼ばれ、同県甲州市内で柳沢川と合流する。ここからは丹波川と名を変え、東京都に入って初めて多摩川となり、途中多くの支流を合わせて奥多摩の景勝を形づくっている。その流れは御嶽山の麓から青梅市に至り、そこから武蔵野台地と多摩丘陵との間を、東南に向かって東京湾に注ぐ。溝口付近から下流部にかけては、特に流路の変遷が激しかったところで、それは、多摩川を挟んで東京側と川崎側に、分断された多くの同じ地名(下野毛・等々力・下沼部・丸子・古市場・八幡塚等)が今なお残っていることからも見て取れる。 現在、市内を流れる主な河川として多摩川水系に属するのは、三沢川、五反田川、平瀬川、二ヶ領用水である。多摩川の源「水干」多摩川に沿って川崎を上空から撮影第1編上水道第1章川崎の誕生

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