川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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420第1節 施設再構築の背景 川崎市の工業用水道事業は、我が国初の公営工業用水道事業として昭和12年(1937)に木月・北加瀬・鹿島田地区の地下水と二ヶ領用水余剰水を水源として創設事業の一部をもって給水を開始してから80年以上が経過している。事業創設時の給水能力は1日当たり8万1,000㎥、給水対象会社は5社であったが、戦時下における生産力拡充の国策による京浜工業地帯の発展とともに、相模川河水統制事業による分譲水を水源とする拡張事業を行い、完成時の昭和29年(1954)には給水能力は1日当たり18万1,000㎥、給水対象会社は27社33工場となった。その後も産業の発展等に伴う水需要の増加に対処するため、浄水場の洗浄余水、下水処理水、多摩区菅地区内の地下水、多摩川表流水、相模川表流水を水源とした、数次にわたる大規模な施設の拡張事業により供給体制の拡充を図り、昭和40年(1965)に1日当たり62万6,000㎥の給水能力を保有するに至った。 昭和48年(1973)以降、水質の悪化や東横線以東が地下水揚水の規制対象となったこと等から、二ヶ領用水、平間・鹿島田地区の地下水、浄水場洗浄余水の水源の取水が不可能となった。このため、契約水量に対して、工業用水道の水源が不足する事態となり、昭和49年(1974)から水道事業から1日当たり9万6,000㎥の補てん水の受水を開始した。その後、この補てん水は、平成7年(1995)度に1日当たり8万㎥となり、更に平成15年(2003)1月に木月・井田さく井群を廃止したことにより、平成14年(2002)度の給水能力は1日当たり56万㎥となった。 一方、契約水量は、創設から高度経済成長期までの水需要は増大の一途だったものの、石油ショック以降、産業構造の変化、工場の市外への転出、回収水の再利用等により減少傾向が続き、近年では横ばい、微減傾向で推移していた。今後もこの傾向は続くと考えられ、施設の老朽化が進む中、工業用水道事業の効率的な運営と適正な使用者負担を確保するには、水需要及び契約水量の動向を的確に把握し、適正な給水能力を確保する必要があった。拡張事業に伴う契約会社・工場数と給水能力の推移事業等完成年度契約会社工場数給水能力(㎥/日)関連水源等創設事業昭和14年(1939)度5社10工場81,000鹿島田地内等地下水・二ヶ領用水第1期拡張事業−−−昭和20年(1945)工事未完成のまま中止第2期拡張事業昭和29年(1954)度27社33工場181,000相模川表流水第1次暫定拡張事業昭和32年(1957)度29社37工場201,000木月・井田地内地下水応急給水補強工事昭和34年(1959)度40社49工場216,000木月・井田地内地下水・洗浄余水下水処理利用施設昭和36年(1961)度44社55工場246,000下水処理水第3期拡張事業昭和38年(1963)度62社75工場486,000菅地内地下水・多摩川表流水第4期拡張事業昭和40年(1965)度79社95工場626,000相模川表流水−平成7年(1995)度68社94工場580,000補てん水の減量・下水処理水の廃止−平成14年(2002)度62社85工場560,000木月・井田さく井の廃止−平成22年(2010)度58社81工場520,000補てん水の廃止・水道事業からの取水第2編工業用水道第4章工業用水道の再構築

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